浮かべる城こそ頼みなる
最近昨日の分のエントリーを書く事が多い。
一応昨日あった事や昨日考えた事や感じた事を基にして文章を書いているけど、当然の事ながら今日書いた時点で昨日の文章ではない。
さらに、自分の書いた文章を読み直してみて内容が余りに鬱ダウナーに傾いてるのもどうよ。
自分の文章なので贔屓目フィルタが掛かっているとしても、読んでて「大丈夫か?この人?ナニ言ってんだ?」てな感じやし、さすがに他の人からすれば読んでて気分の良いものじゃないだろう。
無駄に負のフォースを吹き出すくらいならいっそ書かない方がよっぽどマシだと思わなくもないけど、それでも、ある種のリアリティーは出ているようにも思う。
この粗ブログを読んで下さる方がいるのはとてもありがたい事で、とても嬉しくもあり感謝もしているけど、だからといって読んでくれる人のために書いているわけでは決してない。
じゃぁ何のために書いてんのというのは別にしても、少なくとも自分に由来するもののためを志向して書いているわけで、読む人だけの事を考えれば書かない方がマシなエントリーでも、書く側には書かないよりはマシなのである。
考えてみれば、2006年に入って、こんな駄文を毎日切れ目無く敷き詰めて来たわけやけど、そんな事は時間とエネルギーの浪費でしかないという見方もまたある。
このエネルギーと時間を別の方向に向け、別の事に使っていれば、もっと生産的で意味のある事が出来ていたのかもしれないし、少なくとも彼女くらい出来ていたかもしれない。
そういう見方からすればそれは正論やけど、逆に、時間とエネルギーというとても価値のあるものを、殆ど意味のないものに費やすのは、ある見方からすればとてつもない贅沢でもある。
一般的にそれは「無駄遣い」と呼ばれるのかもしれないけど、それが「無駄遣い」か「贅沢」のどちらになるのかは、結局俺がここに文字を敷き詰める事でどこにたどり着くのか。と言う事にかかっているに違いない。と思った。