真平らが良かろう筈がない場合

最近某tubeで色んな演奏家を見ているけど、大抵の音楽家、少なくとも俺が好きな音楽家は見ていると例外なく変人にしか見えない。
音楽だけを聴いて「あ~すごいな~」と思ってても、実際演奏してるところを見ると「大丈夫か?この人?」なことが多い。
特にglenn gouldなんかは見てるだけで「ああ、この人ヤバい人やねんな」というのが直ぐ分る。
彼の生前のエピソードのどれもが彼がまともじゃない人である事を証明しているだけやけど、それでも彼の「変さ」に引き換え、彼の演奏するピアノは何とも美しい。
彼が自らの内側にある美しい世界にしか興味がなく、そこにしか住んでいないのが良く分る。
こういう風になれたら色々な事が楽になるとはとても思えないし、見ている分には明らかに病的やけど、ある意味での「魂を売る」気持ちは良く分る。
ここまでのものを残せるなら、自分の人生一つなんか安い物だと思う。
でも彼の場合は一度に「魂」を売り渡したわけでなく、彼の「魂」は若いころから時間をかけてちょっとづつ薄切りにされて買われていったわけで、そういう孤独とか苦しみとかを想像すると何ともいたたまれない。
まぁ、いずれにせよ「glenn gould」の「Goldberg Variations」聴いた事ない人はぜひとも某tubeで一度聴いて(観て)みてくだされ。


考えてみれば、音楽家であるグレン・グールドだけじゃなくって、その他のいわゆる芸術家とか言われる人は、(ついでに、哲学者といわれる人も)いわゆる「普通の人」ってのはほとんどいなかったと思う。心理学的とか、精神医学的に見れば皆間違いなく「異常」とか「病気」の方に分類される人たちやと思う。
彼らがその「異常」を捨て「病気」から回復して同じような作品を生み出せるようになるとはとても思えない。
実際おおよそ史上に残る芸術とか思想とか呼ばれるもので普通の人が残したものなど何もないだろう。
精神的に病んでる人とかおかしい人が癒える事は、苦しみから逃れられるという観点からすれば喜ばしいことだろう。
それでもそんな狂気とか孤独とか常ならぬものからすばらしい何者かが生まれるのだとすれば、そんな苦しみも大きな意味があるように思う。
誰もが精神的に癒え、誰もが同じような傾向を持つ世界というのは逆に異様だ。
山と丘を削り、谷と川と湖を埋めてあらゆる土地を真平らにすることが良い事だとはどうしても思えない。

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