人体の不思議展/皮一枚剥げば美しい

「人体の不思議展」に行ってきた。
いつぞやに京都の文化博物館でやっていた時にも一度行ったことがあるので今回は二度目である。
身体を構成している水分と脂肪分をシリコンなどの合成樹脂に置き換えて、大気中で常温で半永久的に保存できる状態にした人体プラストミック標本が色々な状態で展示してある。
輪切りになった人やら筋肉だけの人やら、神経だけ、血管だけ、骨だけの人などだけでなく、体の部位や臓器だけから胎児までと色々な標本が盛りだくさん。
見ていると人間の体がいかに精巧に出来ているのかがが良くわかる。
このプラストミック標本は余りにも現実離れしていて精巧な作り物のように思えるが、よく考えればこの標本は生前からの意思に基づく献体によって提供されたものである。
つまり、組織は全てシリコンに置き換わっているにしても、ある意味では死体でもあるのだ。
bodymuseum00.jpg前回は気味悪がっている人が多かったような気がするが、今回はそんな人は全くいなかったように思う。ギャルも子供もおっちゃんもキャッキャッと楽しそうであった。
個人的にこの新手のスタンドのような筋肉をはがした標本が中々に格好良くって気に入った。
実際に触る事のできる標本も一体あり、花道のお相撲さんのようにペチペチと触られたり、色々なデリケートゾーンを抓まれたりと人気者であった。
彼も死後にうら若き乙女に頬を染めながらツンツンされたりツマツマされる事になろうとは予想もしなかったであろう。
そして、前回は余り感じなかったが、今回は人体の組成の美しさに惚れ惚れした。
表面が美しい人が美しいのは当然であるが、その中にあって普段は見えない筋肉から血管から臓器に至るまで、人体とはなんと美しい事か。
「皆皮一枚剥げば同じ」とよく言うが、誰でも皮一枚剥げば美しいのである。
そして、このプラストミック標本を一個の人格と意思を持っていた人だと考えるととても不思議な気がしてくる。
この人達は一体何を考え、何を経験し、何を思い、人生を終えた死後にこういった標本になる事を選んだのだろうか?
医学的使命?利他的感覚?美的感覚?永遠の生?
そのあたりのところがとても知りたかった。
で、「人体の不思議展」の後は居酒屋で秋刀魚の塩焼きだの鰤のカマ焼きだのエイヒレだの魚ばかりを食べまくり、魚と人体の美味しさと不思議を愛でるのであった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP