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2006年2月23日

北海道は寒いらしい

今日職場に俺の二番弟子ということになっている、「メル某」とその嫁「マ某」が子供を連れて来ていた。
結婚してすぐに彼らは北海道に旅立ってしまったので、一年ちょっとぶりに会ったという事になるけど、いきなり「メル某」が子供を抱いて笑ってる絵柄が目に飛び込んできて度肝を抜かれたところに、「はい」と子供を渡され、「二番弟子の子供を抱いて満面の笑みを浮かべる老師匠」なる絵柄を想像してクラクラした。そんな状態ではまともな言葉も出るわけもなく「こんにちは~本当のお父さんですよ~」となどと言って失笑をかうのが精一杯だった。(大変失礼いたしましたm(__)m)
しかし、あまりにしっくりくる「子供を抱くマ某の図」に引き換え、我が目を疑うほどに見えた「メル某とその子供」の取り合わせも、すぐに違和感なく見えてしまうのは不思議なもので、結局のところ最初の驚きは、「メル某はかくある」という俺の中にある思い込みに端を発していただけの事であった。
言うまでもなく人間は変わるのだ。


結婚して子供もできれば人間がらっと変わるやろう。特に「メル某」は。などと俺なんかは勝手に思っていたのやけど、週頭から始まっている一人プチプチプチデスマーチのお陰であまり喋ることはできなかったにしろ、ちょっと話した限りで彼はそれほど変わったようには思えなかった。もちろん良い意味で。
明らかに変わったように見えるけど、どこが変わったかはよくわからん。というのはやっぱり違和感がある。
一般的にはどうだか知らないけど、俺の中では、某ーチェのように「人間とは克服されねばならぬ或るものである」とまでは言わないまでも、自分を変えてゆく事は良い事であり、少なくとも停滞させているよりはマシと思い込んでいたフシがある。
しかしながら今日「メル某」を見て、俺の思っている「変わる」という事の方向性だか量だかはなんだかぁゃιぃぞ。という事だけでなく、俺の思う「変わる」ことが本当に良い事なのか?というところまで疑問を抱いた。
仏教で言う「四諦」の中に含まれる「滅諦」というのは、渇愛や煩悩を振り切ろうとか捨てようとか努力する事は逆にそれに執着してしまうことになる。というような事やったと思うけど、自分は変わろうとか自分を変えようとかやたらと注力するのはそれこそ逆効果なのかもしれん。
仏教なら滅諦の次に道諦が来て八正道の実践という事になるんやろうけど、とにかく俺はちょっと無理をしていたり、しているのかなと思った。

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