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2009年9月6日

ひきこもり戦士による、ひきこもり戦争のための、ひきこもり塹壕戦

最近「ひきこもりについての本」「ひきこもりだった人が書いた本」「執筆当初も執筆後もひきこもりの人の書いた本」、そして名も無きひきこもりたちの書くブログばかり読んでいる。
なんというか、最大限にカッコよく言えば、彼らは新しい価値を模索しながら、消えつつもあり生まれつつもある価値を死守するために、既存の価値に戦いを挑み、これを破壊せんとしているように見える。
もっとも、一番破壊されているのは本人であると言うオチになるが、耐え切れずに塹壕から飛び出してバンザイ突撃し、銃座からの掃射になぎ倒されるがごとき姿がなんとも涙を誘う。
そう、ひきこもりは塹壕戦である。そして、ひきこもり当事者は既存の価値に終わりなき塹壕戦でもって既存の価値に戦いを挑む戦士である。


過去に既存の価値に戦いを挑んで散っていったものは多い。あれだけ難攻不落に見えた鉄壁の赤い要塞に居を構えていた、既存の価値に宣戦布告した○クス主義が、内部腐敗と資本主義イージス艦からの巡航ミサイル一撃で跡形も無く吹っ飛んだように、今時の戦争では要塞やトーチカなどはただの的である。たった一機の攻撃機からのたった一発の誘導ミサイルのたった一撃で殲滅される運命にある巨大な的でしかない。
これではいけない。既存の価値は戦うには余りにも巨大な敵である。
強固で透明性の無い枠組みの中にひきこもっていては戦いに勝てない。同じひきこもるにしても要塞やトーチカで無く塹壕である事に意味がある。
ゲリラ戦でも電子戦でも謀略戦でもない、そう、塹壕戦である。
17世紀後半の攻城戦に端を発する、第一次世界大戦からの古典的で伝統的な消耗戦、現代戦でも十分通用する塹壕戦であることに意味がある。
戦術核兵器でも容易に攻略できない塹壕での戦いは今でも通用する立派な「勝てる戦術」である。
この防衛線をなんとしても死守しようと、全世界のひきこもり戦士は日夜本当の敵が見えないまま、終わりなき塹壕戦に終わりが来る日を夢見て、砲撃と突撃ラッパの音、鼠と戦車の来襲、塹壕足とシェルショックにおびえる日々を過ごし、「兵士の仕事の8割が塹壕掘りである」といわれるように、毎日戦争そっちのけで塹壕を掘り進んでその勢力を伸ばしつつある。
とはいえ、塹壕戦がいくら防衛戦に強いとしても、根本的に塹壕に引きこもっているだけでは殲滅戦も掃討戦も吹っかける事が出来ず、防衛戦しか出来ないのは根本的な問題であろう。さらに、塹壕での長期間に及ぶ戦闘とその熾烈さによる心的外傷後ストレス障害や塹壕で日々を暮らす事自体の精神的肉体的健康面での非人間的な側面は有名な話でもある。
その上、ごくごく最近の戦争ではサーモバリック爆薬の発達により塹壕自体の存在意義が脅かされるというし、湾岸戦争ではブルドーザー戦車によって塹壕自体が埋め立てられる作戦が行われたという。
ひきこもり戦争にこの戦法が導入されれば、爆風で押しつぶされ、酸欠と一酸化炭素中毒で倒れ、熱で焼かれた死体が塹壕に累々と列を成し、そして塹壕ごと埋められることになるだろう。
なんとも恐ろしい話である。いや、もう、他人事ではございませんよ。

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