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2010年9月30日

断片の集積は全体ではない事について

九月から毎日更新すると決めて書き始めたが、この日でちょうど一ヶ月休み無しに更新した事になる。
とはいっても、一日にあったことを数日に分けて、しかも数日文を一度に書いたりと、厳密に言えば「Weblog」の本来の意味の「log」にはなっていないが、これはこれで上出来。
毎日がlogとして書くべき事に満ちているはずなどないのだ。
しかし、書いた九月分のブログを読み返してみると、実際の生活と比べてなんとも充実した人生を送っているように見える。
私の人生は面白いことと楽しいこととネタにあふれているように見えるではないか。
しかしもちろんそんな訳は無い。
この一ヶ月間に起こったことの中で、最も笑えそうな部分や印象的なところをを積極的にネタにして書くとこうなったわけであるが、実際の生活がこのようにネタに満ちているわけではないし、このように充実しているわけではないし、このようなテンションで日常を送っているわけでは当然ない。
何か書こうとすればするほどにダウナーに傾こうとする自分自身の性質を無理矢理コントロールして、日常生活の中にあるなるべく笑えそうな部分だけをより集めて、このような作文を行ったわけである。


自分の中の事や自分の生活について、ネタ要素はありつつも全くの捏造を書いたわけではないので、これらの文章が全くの創作というわけではない。
起こったことそのまま、感じたことそのままが書かれているわけではないけど、嘘が書かれているわけではない。
しかし、だからといって真実が書かれているわけでもない。
それはただ、何かの事実についてのある一面だけが書いてあるだけであるにすぎないのだ。
私がこの一ヶ月間のブログに書いたような、私の人生が充実したように見える事実だけの断片の集積が、あたかも私の人生全体が充実しているように見せかけるように、
ある一面に過ぎない事実の集積は意図せずとも明らかに事実を捏造してしまうことになる。
そして、ブログを書くのと同じように、自分自身や自分自身の生活についても、自分自身はその一面しか見ていないのではないだろうか。
そして、その一面を捉え続けて見続けていると、その一面をまるで自分自身の全体的な真実として捉えてしまうようになるに違いない。
最近、どう見てもどう話しても、普通以上にまともで普通以上に清くて真摯な人間が、自分自身をボロクソに言うのを見たり聞いたりしてなんともいたたまれなくなることが多々あった。
でも、それはその人の本質ではなく一面に過ぎない。それよりもそれをカバーしてなお有り余るほどの他の人には無い美点が貴方には十分あるではないか。そこの部分で生きればいいではないか。
という意見はたぶん余りにもチープに聞こえるだろう。
それでも、中井久夫が言うような、
「人はその最高かそれに近いところで評価されるべきで、最低で評価されたら身もフタもない」
という見方は、色々なことに対して結構大事だと思うのであった。

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