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2011年5月19日

レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』/終わる世界をサバイバルしようとする物語

 昨日「ムギツク」の「託卵」の話を書いたので、同じ託卵つながりということで、有名やけど結構最近になって始めて読んで感心したラディゲの『肉体の悪魔』の感想をば。
このレイモン・ラディゲのデビュー作であるこの『肉体の悪魔』は、第一次世界大戦の勃発した不安な社会情勢の中、十五歳の少年と夫が出征中の年上の人妻の恋愛話である。
有名な本であるけど、センセーショナルな内容だけが先行し、大げさなタイトルが逆に損をしているように思う。
著者のラディゲはこの処女作を出版直後の20歳という若さで死んでおり、文学者としての活動を殆どしていないせいか、フランス文学史からも軽く扱われているようである。
この作品は古典的な名作というよりはどちらかというとライトな文学読者層向けの作品と位置づけられているようである。
たしかにストーリー自体は何処にでもよくありそうな不倫物ということになるのだろう。
しかしながら、いかにもフランス文学といった心理描写の絶妙さが素晴らしく、
ただひたすら恋愛を描くだけでなく、当事者にとっては世界のすべてに優先する至高の価値と重大さを持っている恋愛が、
他人から見ると滑稽で醜くて馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
ってあたりが感じ取れるように見事に描かれているように思う。
ただ当事者として恋愛を書き、当事者として感情移入して読むためのものではなく、
恋愛が当事者にとってどれだけ大事で貴重なものであっても、それは何処までも個人的で個別的なものでしかありえない。という恋愛の特性をもクールに描かれているようにも思える。


そして、この本を語る文脈で余り言われないこととして、この本の中での舞台となっている戦争勃発直後の不安な社会情勢ということもあるように思う。
世界大戦勃発という強力な社会不安から逃れたり救いを求めるように人を恋愛に駆り立て、そして恋愛を世界と人生のすべてであり続けさせてしてしまうことを可能にするような、不安と価値崩壊の渦巻く社会の雰囲気と絡み合った恋愛の心理描写が、常道を逸脱した恋愛模様にリアリティーを持たせているし、そのあたりの構成もとても見事であるように思う。
ラディゲはこれを書いた時に20歳になっていなかったということで、この作品の完成度は、20歳前でこれだから、もし彼が生きていればどのような作品を書いていたのだろうと思わせるに足りるし、
三島由紀夫が彼をその遺作『ドルジェル伯の舞踏会』の登場人物と自己同一視してしまいそうなほどに絶賛していたというのも頷ける。
以前『チボー家の人々』を読んで、人類史上始めての世界中を巻き込み、世界のすべてを戦場にする第一次世界大戦の直前直後の社会的な心理状態が人の心に与えた影響をとても興味深く思った。
『チボー家の人々』の物語とは、平穏な世界が終わるかもしれない予感に追い立てられるように、人々は己の理想と愛に本気で向かい合って突き詰め、チボー家の人々も各々の理想の追及に奔走し命を懸けるといった物語でもあった。
そして、この『肉体の悪魔』も同じように「世界の価値」とか「己の理想」を「恋愛」に設定して、その価値と理想だけを追い求めることで終わりそうな世界をサバイバルしようとする物語なのかもしれない。
そしてそういった社会的な心理状態は、ちょっとした「ライト世界の終わり」のようにも見える「東日本大震災」ともちょっとリンクするのではないかとも思った。

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