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2011年8月25日

海三日目/この先生きのこるプロメテウスのロマンと悲哀/古くて変わらない魚料理

海三日目は泳がずに車でブラブラ、海の近くにある関西電力PR館に立ち寄ってみた。
現在のふくいちちゃんがチェルノブ先輩に張り合うかのようにあんなことになっている状況なので、関電PR施設の原発関連の展示が少しでも原発事故やリスク対策的な現状に即したものになっているかと思ってちょっと期待していたのだが、
展示は事故前と全く変わっていないと推測される「原発は絶対安全アピール」のみであった。
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現実がそれを全否定している状況で、そんな「絶対安全アピール」はとても空しい。
こういった模型やパネルで安全性を強調されればされるほど、事故が絶対起こらないことを強調されればされるほど、この何重もの壁を突破し、最後には1メートルのコンクリートの壁をも突き破って、放射性物質が外に撒き散らされる事故が起きたという事実が、どれだけ恐ろしいことを意味するかを、逆に説明してしまっているように感じられる。
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原子炉とその施設の模型を見ても、ほうほう、ふくいちちゃんの場合はここが融けてここが割れてここが吹っ飛んだわけですな。という見方をついついしてしまう。


しかし、元来私はこういった原発PR施設が大好きなのである。
たとえそのPR施設が「原発はこんなに便利で凄い」「原発はこんなに安全でエコ」などと言った特定の方向性に塗り固められたプロパガンダに満ちていようとも、
原子炉の模型だとかプルサーマル計画だとか原子核分裂反応とその制御だとかいった説明パネルを眺めていると、ただそれだけで理屈抜きに無闇にワクワクしてくるのは男子たるものの当然の反応であろう。
人間が人知を超えた神の領域に手を出し、人間の手に余るものを制御しようと試みるのは、常におのれ自身を乗り越えて克服して進化進歩し続けようとする生物としてのロマンである。と私は思っている。
その「ロマン」の「傲慢」とか「業」の側面が目立ってくると、今回の原発事故のように、おのれのテクノロジーがおのれに向かって暴走したり、盗んだ神の火がおのれ自身を焼いたり、ということになるのだろうが、それはそういった進化や進歩の当然のリスクの一つではある。
しかしそれがプロメテウスのような人類の進化と進歩や人類の利便のためを思ってやったことの結果なのではなく、利権を独占しコストを削り、といったムスカ的な己の欲望だけを追求した結果であるように見える。というところに人々の怒りがあるのだと思う。
ってなんかグレンラガンみたい話になってきたが…
とにかく、「原発は絶対安全」であるのは既に現実が事実として否定してしまっているので、今までのように「原発は絶対安全」を前提として何かを言ってもすべては嘘くさく響く。
とはいえ、こういった原発PR施設が「原発は絶対安全」をPRするためにだけ作られたものだとするならば、自身の存在意義を否定することになるような「原発は危ない事もある」などといった事はおいそれと言えないだろう。
しかし「原発は絶対安全」を前提として「原発は絶対安全」を証明しようするのは見事な循環論法であるので、そもそもの最初から説明とか説得としては微妙であったのは事実なのだ。
そもそもの説明自体がグダグダであったのに、それに輪をかけたような状態の今、もはや原発関連のPR施設が原発の安全性をアピールしようとしても誰もちゃんと聞かないだろう。
今のままのPR施設のままでは嘘くさいし余りにもつまらない。
原子力発電所が、原発PR施設が、この先生きのこるために、ちゃんと人に耳を傾けてもらうためには、原発の危険やリスクを前提にした上で、ちゃんと真面目に原子力発電の現状と理想と目的を説明する必要があるだろう。
もしこういった原発PR施設が今回の原発事故の詳細や展望をパネルや模型で展示し、現実の原子力発電やエネルギー問題の問題点とその恩恵、そしてそれらのテクノロジーと目指すものをテーマに展示物を構成するならぜひ見に行きたいとみんな思うのではないだろうか。
原発PR館は、例え原子力に危険があったとしても、それでも追い求めねばならない、神の火を盗んで人に与えたプロメテウスのロマンと悲哀を、原子力のもたらすワクワク感や人間スゲー感を、こんな今だからこそアピールして欲しいと思うのであった。
そして、お昼ご飯、小学生時代に海に連れてきて貰った時によく食べていた、とてもとても懐かしいお店を数十年ぶり訪れた。
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このお店は何十年たっても佇まいも内装も全く変わっておらず、昔と全く同じ安くて美味しいままであった。
そんな店の中で昔ながらの大木切りっぱなしのいびつなテーブルで「鯖の塩焼き定食」と「アラ煮」を食べていると、懐かしいと美味しいと嬉しいを通り越したその先にあるような気持ちになった。
原発PR施設で人類の進化と進歩とその業に思いを馳せた後、全く変わらない場所で全く変わらない美味しい魚を食べて妙にほっとした。
人間が人間であり続けるためには変わり続けることだけでなく、全く変わらないものも必要なのですな。
などと中二病的な結論に落ち着いたのであった。
魚好きの皆様、宮津付近に立ち寄ったなら、宮津駅の真正面にある「富田屋」を一度訪れることをお勧めいたしますぞ。
いかにも常連風の人が親子丼とか中華そばを美味しそうに食べていたので魚以外もありかもです。

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