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2006年5月23日

雑食からの不完全変態

某氏と電話で話していて「にくちゃんねる」なるものを教えてもらった。
なんでも某巨大掲示板の過去ログが見られるらしい。
くっきり記憶に残っているスレ名で検索してみると…
確かに見える。むぅ懐かしい。これは…とてつもなく懐かしいぞ…
今から五年前の2001年に必死に追いかけていたスレを読んでるとなんか不意に出てきた昔の日記を読んでるよう。
当時の気分というのは無理やけど、当時の俺がどんな状態にあり、どんなことを考えていたのかは思い出す。
2001年と言えば今の職場で働き始めた頃で、結構色々あったけど、意外に嫌な事は余り覚えてない。更に楽しかった事もくっきりと覚えているわけでもないことに少し驚きを感じた。
嫌な事があった事実は覚えていても、それが実際どんな感覚とか感情だったというのは殆ど覚えていない。同様に楽しかった事も。
思えば五年というのはとても長い歳月である。それでも、当時俺の中で最優先事項であったはずの事を感情や感覚まで含めてくっきりとは思い出せない自分に何とも言えない不気味さを感じる。不思議と言えば不思議だ。
「にくちゃんねる」を教えてくれた某氏も同じように感じたのだろうか?多分そうなんやろうな。


思えば今は五年前から見てとても遠くに来てしまった。五年前の当時でもその前に比べて「遠くに来てしまった感」を感じていたけど、それでも、なんか振り出しに戻ったような感覚はなかったような気がする。
五年前に持っていなかったものを今持っていたとしても、当時持っていたものは既に決定的に損なわれている。なんというか、総量で考えれば同じやけど、何かを得ると何かを失い、何かを失うと何かを得る、エネルギーと質量の等価性というと大げさやけど、質量保存の法則ぐらいな感じはする。
たぶん、今ぐらいで俺の色々な意味でのキャパシティーが満タンなんやろう。五年前は見境無しに色々なものを詰め込んでいたけど、今はそんな余地はない。
これから何かを得ようとすれば得た分だけ何かが失われる。何かを得続ける事は出来ないけど、これから何かを失い続ける事もまた出来ない。そう考えるといくぶん救いはあるけど、それでも何とも言えない気分になる。
これからは俺の得るものは俺の中にあるものとの交換原理に乗っ取ってゆくのだろう。
俺がこれから何を得て行くのか、何を得て行くべきなのか。更に言うと俺の中にある何がいらないもので、それと引き替えに何を求めるべきなのか。
そのあたりを見定める余裕とか必要性を今までは全く感じなかったけど、容量が埋まりつつある今となっては、そこの所に気を配る必要があるのを切実に感じる。
自己実現だとか幸福追求の権利だとかいった余りにも大それた事を言うつもりは全くない。
ただ、今から五年後、気づけば俺の中はガラクタばかりだった。大事なものと交換に屑ばかりをため込んできた。などと思いたくないだけだ。
あるいは、こういった事共は全て、単純に年を取ったと言う事から来ているだけかもしれない。
そう考えると人間存在のマヌケさも中々侮り難し。などと思うのであった。

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