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2006年8月17日

村上春樹『羊をめぐる冒険』

これも下巻だけ某氏に貸していたもので、数年ぶりに読んだ。
村上春樹が専業作家になって初めての小説で、「鼠三部作」の完結編であり、ストーリー的に「ダンス・ダンス・ダンス」へと続く作品でもある。
「僕」が「鼠」と羊の関わる陰謀に巻き込まれることで始まる「羊をめぐる冒険」のストーリーテリングと、彼独特の言い回しや世界観で読者を飽きさせずに最後まで引っ張ってゆく。
彼の小説の中でかなりの人気の上位に入る本でもあり、この本のおかげで村上春樹の実力が世に認められた事になるだろうと思う。
単行本の初版は1982年の10月。
腹痛が癒えた後一気に読んだ。


久しぶりに読んだけど、この本てこんなにひたすら悲しい本やったか?
「僕」と「鼠」のひたすら失い続ける様は読んでて痛ましいとしか言いようがない。
最初、村上春樹独特の言い回しがやや違和感があったけど、慣れてしまえば逆にこの文体と言い回しが、失い続ける状況に対して、世の中に大事なものなんか無い、と言い聞かせる事で対処しているような悲壮感を表してるように感じた。
そういう風な読み方をしたの初めてやけど、なんかやたらと変なところにヒットするフレーズが満載やった。
読んだ時の精神状態が読む本に投影されるにしても、ここまではないやろう。
本当にこんな本やったか?
としたら、俺は今まで一体何を読んでいたんや?と不安になる。
俺がこう感じるようになったのはもしかして単純に年のせいか?
「弱さ」を体現する存在である「鼠」とその親友の「僕」。
この二人が主人公の鼠三部作のテーマは「弱さ」とか「喪失」とか言う事になるだろう。
「弱さ」の象徴たる鼠は自分や世界の弱さを愛するが故に、絶対的な強い存在である羊を否定して、誰もが成せなかった事を成し遂げたと言う事になり、そして鼠はこの三部作の舞台を降りる事になる。
その事の意味を問わないにしても、アショーシャ的人生観とも言うべき「不幸な人間であっても全体として人生を祝福する」から言えば立派なものだ。
ひたすら失い続けてもなお、最後に鼠は「救われた」と「僕」に言ったし、「僕」にはその事実が残されたわけで、それだけで十分と言えば十分なのかもしれない。
誰かから「救われたよ」と言われたり、誰かに対して「救われたよ」と言ったりする事が人生に一度でもあれば、それだけで生きた意味の半分くらいはあるような気がする。
「鼠」と「僕」がひたすら失い続けるとか書いたけど、よく考えてみればそんなに俺と状況が違うわけでもないし、見ようによれば俺の人生も失い続けているように見えんことも無いわけだ。
それでも、俺の人生はどう見てもドラマチックで無いのは非常に残念でもある。
この本で言うところの「現実的に凡庸」なタイプだろう。
「ボラをめぐる冒険」にでも巻き込まれればドラマチックになれそうだ。

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