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2013年7月9日

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』/村上春樹バブルは崩壊するのか?

図書館で村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を借りてきて読んだ。

冒頭から、何時死を選んでもおかしくない絶望状態にありながらも黙々となぜか生き延びたという、今までの村上春樹に無いタイプの主人公が出てきてとても期待したのだが、読み終わってしまえば全体として今までの村上春樹的な文法と単語を組みあわせたという印象である。

それでも村上春樹の作品の中で他の作品とは違った印象を受ける『ノルウェイの森』とかなり共通するテーマが多いように思えるし、前作『1Q84』の主人公が公園の滑り台の上から月を見上げるシーンがなぜか印象に残っているのと同じく、この小説で主人公が駅のホームベンチで「駅そのもの」を眺めるシーンは印象に残っていきそうな感触がある。

今まで村上春樹の小説では『ノルウェイの森』での火事を見ながらギターを弾いて歌を歌うシーン、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』での地下のやみくろ世界でピンクの女の子がピンクの歌を歌うシーンと、なぜか歌を歌うシーンが印象に残っているのだが、この本を読んで「歌う」から「見る」のシフトということに気がついた。

そういえば、彼の扱うテーマががらりと変わった印象のある『ねじまき鳥クロニクル』では主人公が雑踏に座って延々と人々を眺めるシーンがあったけど、「歌う」から「見る」のシフトに目が行くってのはむしろ私のほうの変化かもだ。

とはいえこの本のイメージで印象に残っているのは、その異様な売れ行きと社会現象的な扱われ方で、実際に本を読んでみて、その扱われ方が如何に異様だったのかというのを実感した。

この本の前作『1Q84 BOOK3』はAmazonで予約が開始されてから12日間で1万部を突破したのにもかかわらず、この本はそれよりも早くAmazon最速の11日で1万部を突破したらしい。そして売り出されると同時に各書店では売り切れが続出し、メディアはこぞってこの本を取り上げた。

前作『1Q84』とこの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の世間での扱われ方や、異様な売れ行きを見ていると、そんな状況はバブル以外の何物でもないと思う。

「バブル状態」で高騰したあらゆる価値はすべからくいつかは必ず崩壊する。というのは経済学的に言えば1つの法則のような扱いになっているようだ。

なにかしらのモノやコトに対して人が殺到することにより、人が殺到することそのものがますます人を殺到させて価値が暴騰する。そして実際以上に膨らみすぎた価値に人々が気付き始めるとまた人は殺到してその価値を投売りし始め、人が争って逃げ出し始めることによりバブルは崩壊を始める。

その後には、掘りつくされた銀山のように、必要とされなくなった炭鉱の島のように、売られつくされた株や通貨や不動産のように、あらゆる人によって踏み荒らされ、あらゆる養分と水分が吸いつくされた不毛の荒野がそのままの形で残るだけ。と いうことになる。

村上春樹は2012年度のノーベル文学賞を逃した。私としてはノーベル残念賞を贈呈したいところだけど、現在の村上春樹バブルの下支えとなっているのは彼がそのノーベル賞候補であるという期待値によるものではないかという気がする。

以前、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した時の盛り上がりと、しばらくしてから誰も言及しなくなる忘れ去られっぷりの落差に驚いたことがあるが、昔から村上春樹が好きな私としても、村上春樹バブルはいつか崩壊するのではないかという予感がする。

彼がノーベル賞を受賞するか、あるいは受賞できないかのどちらでもそれは起こるような気がする。そして、その後に本当のファンだけが残るのだろう。

できるならそんなことになって文学市場での村上春樹なるマーケットが不毛の地とならないことを願うけど、実際昔のバブル景気時代に『ノルウェイの森』バブルを生き残っているわけやから今回もきっと大丈夫だー

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