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2007年2月14日

風向きが変わる

今日は何とかデーという事で亡霊どもがまわりをウロウロ歩き回っており(もちろん比喩的な意味で…)そんなもの見たくも聞きたくも無いので、ヘッドフォンを被ってひたすらSUSKE-QUARTETTの演奏するルートヴィヒの後期弦楽四重奏を聞きまくる。
もうたまらんね。ああたまらん。ほんまにたまらん。マジたまらん。もうはんぱねぇたまらん。特に15番の第三楽章。
このニ長調の最初の一小節ほどの価値がある人間なんかどこに存在するのだ?
いくら世界がこれほど醜くてもこれほどまでに美しいものがあれば、世界にとってそれで十分とだ感じさせてくれるし、この音楽の価値に比べれば、私に属するすべてのものなど余りに些細過ぎる問題でしかないように感じる。
自分の価値の無さが心地よく感じられる稀有の音楽であり、少なくともベートーヴェンが一人でも偉大であれば世界にとってそれで十分でないのか?
某氏の頭の中で「右から左へ受け流す」がぐるぐる回っているように、頭の中で「大フーガ」の主題がカノンになってぐるぐる回っている。
私もノイローゼである。色々なものに起因する色々なものに対するノイローゼである。


今日になって色々な風向きが一気にがらっと変わった。
背中に風を受けた瞬間怖気づきそうになったくらいの風である。
大海へ漕ぎ出し大空へ飛び立つのに、この追い風を使わない手は無い。
結局最後には何とかする土偶に不可能は無いはず。タイタニック号やツェッペリン号や戦艦大和のように前進あるのみである。
失敗したところで沈没したり炎上するくらいのものだ。
モノを作った人がモノを欲しがっている人にそれを売って、買った人も売った人も作った人も幸せになる。
モノを売ったりサービスを提供したりといったビジネスであるとか商売であるとかは「狐と狸の化かし合い」でも「大農園主が小作人を搾取する」でも「チンピラが金持ちを強請る」でも「ダニが巨象に寄生する」でもなくって「みんなが幸せになる」が根本原理であるのを、当たり前ではあるけど忘れがちである。
これは私の社会経験の少なさに起因する事なのやろうけど、俺たちはこれだけお前を利用したんやから、お前も俺たちを利用しろ。という意思表示をする誠意というのはあまり接した事が無かった。
出来そうの無い事を言って期待を持たせたりせず、嫌われてもいいからきっぱりと言い切る誠意、自分の立場で出来る範囲で最大限に考えてくれ、自分が相手を利用した分は相手も自分を利用してくれという、なんというかクールな優しさも良いものだ。大人というのはこういう事を言うのかなと思う。
なんにせよ人との縁てのは有難いものである。ナムナム。
というところで、さぁ戦じゃ戦じゃ!!

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