トマス ピンチョン『競売ナンバー49の叫び 』

某毒舌紳士をして「アメリカ文学の旗手のような言われ方をしている割に、限りなくつまらんかった」と言わしめた作者である。
そこまで言われるからにはぜひともこの作者の作品を何かを読もうと思ったまのではいいけど、ネットの評判を見るに確かに敷居が高そうだ。原色の幻視な視覚的サイケデリック肉体感覚な感じ?
で、このトマス・ピンチョンなる作家の作品で一番最初に読むものとして、正攻法では代表作的な扱いを受けている『重力の虹』を、もしくは試食的に短編集の『スローラーナー』を選択するところやけど、それをやるとと駄目らしい。
どっちも余りにトマス・ピンチョン的であり、かなり判り難いらしく、空きっ腹にいきなり原液でカルピスを飲むようなもんなんやろうね。
ということで、事前の情報収集の結果、最も一般向けというかストーリがーあるというレベルで小説の体を成していると言われる本作品、『競売ナンバー49の叫び』を読む事にした。
しかしながら、原液ではないものの、カルピスをヨーグルトで割った位の濃い作品であった…
この作品のストーリを説明するほど意味の無い事は無いやろうけど、昔付き合っていた男の遺産、高い価値を持つ収集用の切手を相続する事になった女性がその切手から地下社会社会の陰謀に巻き込まれてゆく?というストーリーなのだが、ストーリーを追って物語を楽しむという読み方はほぼ不可能であろう。


amazon ASIN-4480831290このあたりは訳が悪いというよりは原文がそういう雰囲気なのだろうと推測されるけど、まず文章自体が読みにくい、一文がやたらと長いし、意味や語句がどこにかかっているのかがわかりづらく、リズムに乗ってストーリーをドライブしてゆく事は不可能である。
さらには言葉の使い方や比喩が特殊すぎて何が言いたいのかを意味として理解するのが難しく、感覚的な知覚に近い読み方をさせられる。
例えば、

-ドアに気がついた。入ると、柔らかい、エレガントな混沌だった。そこにいる一人一人の末端神経が剥き出しになっていて、その末端神経の小アンテナから放射されるものがあり、それが相互に干渉しているという印象だ。

という感じで、これは知覚を一般化無しに言葉にしたような印象を受ける。
こういうなんは一歩間違えばある種の精神疾患にありがちな表現になるゆえに、並みの人間なら一般化した折り合いをつけたレベルで表現しようとするのやろうけど、トマス・ピンチョンはこの作中でもあるように「幻想」を個人のアイデンティティーに近い位置においている。
何かを文章にするというのは個別的なものを一般化して理解しやすくするための方向性を持つものやけど、この作者の方向性は全く逆、特殊性を特殊性のままに表現するところにあるのではないか、作者の目指すところは作者自身の言葉を借りれば「精神に肉体を与える事。言葉なんてどうでもいい」というところではないのだろうか。
この作者の感性と同一化して、一緒に既存の何物かを解体し、一緒に不安であるとか幻視であるとかの同じ感覚を共有する。そういった読み方しかできない本、というか作者であろうと思った。
本自体は読みにくかったけど、この作者が疑いを持ち、解体しようとしているものは、一般性やら普遍性を持たせようとすることで逆に限界あるものとして自らを規定してしまった既存の文学の枠組みであり、この作者の新しく打ち立てようとしているものは、そんな既存の文学の限界を取り払ったスタイルであるように見える。
そこらあたりが、アメリカ文学の旗手なるゆえんであろうかと思った。
わけわからんし、ものすごくつまらんけど、激しく瞬く一点がある。
やり方は兎も角、この作者の破壊しようとするものと目指すところにも共感できる。
とにかくまた別の本を読んでみようと思った。

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