土偶の皮を被った「かわうそ」の皮を被った「プレデター」

「親切」とか「礼儀」ってのは人間の性格上の資質に因って得られるのではなく、努力による習慣づけによって得られるのだと、村上春樹が『羊をめぐる冒険』で書いていたけど、確かに「親切や礼儀」が「優しさ」とか「思いやり」などで代表される意味群の概念とは全く違うモノであるように感じる事が多々ある。
「親切」や「礼儀」は現象としての事象を指す単語で、「思いやり」や「優しさ」は人間の内的な傾向性を指す単語であるから、もともとそれらは違うものである筈やのに、なんとなく混同が行われやすいものでもある。
一般的に人間の行為は動機に基づいていると考えられているので、言い換えれば「思いやり」や「優しさ」は動機の部分であり、「親切」や「礼儀」は行為にあたるとも言える。
だからこの話を正確に言い直せば、「親切」で「礼儀正しい」現象の原因を、「思いやり」と「優しさ」だと推測するのは間違いの場合が多い。という事になる。
つまり、世の中羊の皮をかぶった狼もおれば、狼の皮をかぶった羊もおり、システムエンジニアの皮をかぶった「かわうそ」や土偶の皮をかぶった「プレデター」もいるということである。
しかしながら特記事項として、土偶の最も好むとするところは図書館司書の皮を被った乙女か、図書館司書の皮をかぶったツンデレであることをここに明記しておこう。

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