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2014年8月29日

R.D.レイン『子どもとの会話』と西原理恵子『毎日かあさん』

偶然古本屋で見つけたR.D.レインの『子どもとの会話』を読んだ。
今まで、精神科医であるR.D.レインの著作は『引き裂かれた自己』と『好き?好き?大好き?』しか読んだことがなかったのだが、

『引き裂かれた自己』は当時「分裂病」とされていた人を「異常」としてその異常の部分を見ようとするのではなく、分裂している状態でしか成り立ち得ない脆くて不安定な自己に寄り添うように理解しようとする試みであった。

彼の見方からすれば、現在言われる「統合失調症」は統合を失った形でしか統合し得ない1つの統合として理解されうる訳であるけど、それでもやはり社会からは1つの狂気の形であるとみなされるものであることも同時に理解できるのであった。

次の『好き?好き?大好き?』は色々な人の対話をメインにした詩とも戯曲とも言える不思議な本で、読んでいるとじわじわと足元が揺らいで狂気が這い登ってくるような感覚に襲われるものだった。
 

そして、この「子どもとの会話」は彼の家族との会話を、主に子どもとの会話をメインにして全くの創作無しに日記から抜書きして1つの書籍に収めたもので、過去に読んだ彼の二つの著作とは全く違っていてとても衝撃を受けたのだ。

 

この本の冒頭で

わたしは自分の生活の中の相当部分を楽しむことのできないコミュニケーション、誤ったコミュニケーション、またはコミュニケーションの破綻を研究することに費やしてきた。

と言う彼が、

しかし、人間観のコミュニケーションのもうひとつの側面-幸福な側面に関しては、これほど深い注意が払われてこなかったようである。
~中略~
それゆえ、この心楽しい、また真剣な喜びに満ちたこれらの対話を紹介することは、私にとって大きな喜びであり、慰めである。もちろんここに時折荒々しさや凶暴性が顔を出さないというわけではない。ものごとの暗い面が見落とされているわけでもない。しかしわたしの見る限り、ここでは嫌悪、悪意、恨み、嫉妬、敵意、羨望、あるいはその他もろもろの人生の影の部分が勝利を誇っているようには思えないのである。

とこの本のコンセプトを語っている。

彼が『引き裂かれた自己』で統合失調症患者の狂気の面ではなく、正常な面を見て狂人と呼ばれる人を理解しようとしたように、歪な形での人間関係や親子関係に着目するのではなく、この『子どもとの会話』のように親子関係の微笑ましくもノーマルで暖かい部分を注視する方法論は人が生きてゆく上でとても大事であるような気がする。

『ぼくんち』を読んでから好きになって読み出した西原理恵子の本に自身の娘や息子や家族の日常をメインに描いた『毎日かあさん』なるシリーズがあるが、この「毎日かあさん」がただ笑えるだけでなくなぜこれほどまで心に染みるのかに、この『子どもとの会話』を読んで気づいたような気がする。

  

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