急がないのは結論

「世の中には誤解というものはない。考え方の違いがあるだけだ。」と言ったのは村上春樹だった。
一方で彼は「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」とも言っている。
この二つの命題をあわせれば、「理解というものは、つねに考え方の違いによる異なった捉え方の総体に過ぎない」という事になる。
これが正しいかそうでないかはとりあえずおいておいて、その見方からすれば、例えば、一つの事象を五つの視点から見て五つの真実が見える場合はどれか一つを真実とみなすのではなく。「五つの見方が出来る」とだけ捉えておくのも一つの理解である。とも言えるだろう。
結局それは真実を知る事ではないけど、真実でない事を真実だと思い込む危険を避ける事だけは出来る。
理解することは必ずしも真実を知る事ではない。と開き直るつもりはないにしても、それ以上にある種の便宜的理解として判断保留の立場をとるのに結構使えるんじゃねぇの?などと思った。
でもまぁどうでもいい事に関しては真実など度外視して「一番笑ける説」か「一番エグい説」を積極的に採用するのもおつなものである。だってほんまにどうでもいいやもん。

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