肉じゃがジェラート / 癒し系フナムシパラダイス

「肉じゃがジェラート」なるものを食べた。
殺す気か?っていうほどの日差しの中の朦朧とした意識の中では「あっ、ほんまに肉じゃがの味するわ」っとしか思えなかった。
でも、冷静に考えれば、決して美味しいは言えず、食べられないほど不味くはない。というラインをギリギリ維持して低空飛行するような食べ物であった。ような気がする。
しかし、なぜこのような食べ物を作ろうと思ったのか甚だ謎である。
巷に良くあるような、間違って醤油をかけてみたら意外に美味しかった。とか、幽霊の絵に間違えてお茶をこぼしたら足がぼやけて意外にいい感じだった。の様に、間違えて肉じゃがにアイスクリームを落として、食べてみたら美味しかった。という感じなのだろうか?
というような疑問を持ったけど、最初から食べ物としての美味しさを追求するのを放棄して、何とか食べられる。を目指したようなベクトルをもったこの「肉じゃがジェラート」は、”はじめに肉じゃがありき”なのだろう。
パンフレットにはどこにも「美味しい」とは書いておらず「不思議な味」としか書いていないのが正直で笑った。


この「肉じゃがジェラート」のように、はじめに肯定しなければいけない無理な前提があると、どうしても言ってる事とやってることに無理が出てくる。
「私は正しい」を前提で物を言ったり行ったりする人間の言動が支離滅裂で無茶苦茶なのと同じである。
最初は物珍しさで人は寄ってくるけど、一度実情を知ると普通の人ならかかわり合いになりたくないと思うし、相当できた人でも距離を置くようになるだろう。ただ自分の被害の及ばないところから見ている分には面白いかもしれない。
とはいっても、この「肉じゃがジェラート」は単独でこれしか売ってなという状態で売られているのではなく、「肉じゃがまん」「肉じゃがコロッケ」などの順当に美味しそうな「肉じゃが」をコンセプトとした食べ物の一環として売られているので、物珍しさ目当ての客だけでなく、美味しいものを食べたい客も拾う構造になっていた。
物珍しさで客を惹きつけておいて、ちゃんとした美味しい食べ物で釣る。という構造はなかなかに考えられているのではないだろうか。さすが海の町だけあってカツオや鯛の一本釣りと同じ漁法である。
いやいやお見事であった。
そして日が傾き掛けた頃から私の大好きなフナムシパラダイスで潜る。
イシダイもチヌもキジハタもまったく見当たらず、突きたくなるようなカワハギ君すら出合わず。透明度まで低かった。
いったい今年はどうしたのだろう?
結局、一度もヤスを撃たずに終わった。
よっぽど、ちらちらと視界に入る40cmクラスのグレを撃とうかと思ったけど、流石に止めておいた。
それでも、一人ですばらしい景色と海と太陽の中で、何の気がかりも無く純粋に海底で水圧を受けながら純粋な殺意の塊となって魚を探していると、まるで自分が海に溶け出して、海が自分に染み込んで来るような感覚に陥る。
この感覚を感じると又一年巡ってきたなぁ。と言う気がする。

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