小惑星探査機「はやぶさ」に人の死に様と生き様を見る

はやぶさ最後の画像昨日の夜、以前紹介した小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した。
数々の困難を乗り越えて数々のミッションをこなし、文字通り満身創痍で帰って来た「はやぶさ」は「小惑星イトカワ」の砂のサンプルが入った(と期待される)カプセルを分離した後、大気圏に突入して燃え尽きた。
「世界初」の快挙の数々を成し遂げながら、孤独な60億キロメートルの宇宙の旅を終え、遠い彼方で掴んだはずのものを人々に託し、最後に自分を愛する人たちに見守られながら、故郷の空気の中で華々しく燃え尽きた「はやぶさ」は、人間にとっての「死に様」あるいは「生き様」の一つの理想的な典型であるように思う。
その際の画像はこの読売新聞のニュースが、動画はNHKのニュースが一番美しいと思う。
しかしながら一番素晴らしい画像は「はやぶさ」が大気圏で燃え尽きる寸前になんとか撮った地球の姿ではなかろうか。
この画像は、カプセルを分離して予定の任務を全て終了し、後は大気圏で燃え尽きるだけとなった「はやぶさ」に、「その目で、もう一度地球を見せたい」と、電源を切っていたカメラを再起動して機体を180度回転させて地球を撮影する最後のミッションが下り、イオンエンジンの燃料を宇宙空間に直接噴射してまで機体を回転させて撮影されたものである。
直前に撮影された六枚はただの黒い空間しか写っておらず、最後の一枚に地球が写っていたのは殆ど奇跡であるといっていいようだ。
このはやぶさの目から見た地球の画像は、「地球が涙で潤んでよく見えないよ」。とでも言っているようではないか。
さらにデーター転送中に息絶えたことを物語るような、右下以降のデータの欠落がなんとも泣かせる。
もうこれは辞世の句であるようにも見えてくる。
しかし、最後に「はやぶさ」に地球を見せ、その姿を撮らせるとは、技術者なる人種とはなんとロマンチストなのであろうか。
技術者の端くれとして、最後までロマンは捨ててはならぬのだと心に思うのであった。



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