半島を出よ/内なる異端者の存在を承認するということ

村上龍つながりということで、『半島を出よ』を読んだ。

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分厚い文庫本2巻構成なのだが、これも一気に最後は完全に徹夜して数日で一度に読みきったくらいに面白かった。

ストーリは財政や経済が破綻し国際的に孤立した日本に対して、対米親和路線をとり始めていた北朝鮮が、反米意識を保持する保守派の部隊を粛清する意図もこめて福岡に送り、九州を占領して日本から独立させる計画を立てる。

旅行者に偽装した武装した9人の北朝鮮の特殊部隊が試合中の福岡の野球場を占拠して亡命者を名乗り、、その二時間後に250名以上の兵士を乗せた輸送機が到着して福岡はこの部隊に占領されるが、政府はこの状況に何の手も打てず、アメリカも安全保障条約の適応範囲だとみなし、福岡を占領した遠征部隊は県と市と共同で当地を行うことを宣言する。

遠征軍の別同部隊が東京に破壊活動のために潜入するというデマから政府が福岡を封鎖したことで市民感情が遠征軍に傾き、遠征軍が着々と支配を進めるところに、北朝鮮から12万人を乗せた船が福岡を新たな移住地とすべく出港する。

政府も何も手を打てず、諸外国もこの状況を黙認し、福岡市民も自分たちが占領されてしまうことを受け入れる中、共同体に馴染めず重犯罪を繰り返して戸籍から抹消された特殊な嗜好と興味を少年たちのグループが遠征軍を倒すべく立ち上がる。

という感じである。

全編を通して、少年たちのグループ、北朝鮮の遠征部隊部隊、福岡市民、政府の人間、とあらゆる視点から緻密に欠かれた物語はむやみやたらとリアリティーがあったし、登場人物もエッジで手を切りそうなくらいにキャラが立っていて、なにしろ巻頭の人物紹介のページだけで数ページあるくらいだ。

細かいことからずっと先の見通しまですべて計算しながら着々と占領統治の既成事実を作ってゆく貧しい北朝鮮の軍隊に対して、武装した外国の軍隊による県の占拠と統治という想定外の事態になすすべも無く右往左往し、独りでに膨張するデマに踊らされてパニックになる先進国であるはずの日本の状況は、同じことが起これば現在でもこのとおりに展開しそうで怖い。

内田樹は誰も予想しないような未曾有の災害やトラブルに対しては共同体に属さない特異なセンサーや勘を持つ特殊な人たちに頼らざるを得ない。と言うような意味の事をよく言っていて、まさにそのような特殊なアウトサイダーによって日本と福岡は救われたわけであるけど、結局この物語の中ではこういった現実では殆ど期待できないことでもない限り、既存の政府や社会組織はこのような状態に何の対処どころか解決の道筋すら示せないのだと言うことにもなる。

この本はそういった政治的な小説としての読み方がされていることが多いけど、私はそれ以上に余り言及されないトリックスター的な役割を果たす少年たちの境遇にとても興味を持った。

彼らは、強力な毒をもつ両生類や節足動物を大量に飼育する少年、金属を研ぎ上げて作った殺傷用ブーメランを自在に扱う少年、対人用に特化した爆発物のスペシャリスト、破壊工作に使用する特殊高性能爆弾に並々ならぬ知識を持つ青年、建物や施設の配管や構造美を愛する少年、破壊と殺戮にしか生きる意義を見出せない青年、参加した中東のテロ組織と資金関係があり銃器を密輸入する銃器マニアの元銀行員、彼らに棲家を提供する詩人たちと、一点に特化した強烈な個性を持つ人間の集まりである。

彼らは子どもの頃から極度の自閉症や精神疾患と強烈なトラウマから世界との距離感をつかめないま、誰からも理解されずに育ち、家族、学校、施設とありとあらゆる共同体になじめず追い詰められ、結果として強盗や猟奇殺人や大量殺人を犯してしまい家族に戸籍を抹消された、住基IDを持たないような少年たちばかりである。

そんな彼らは一人で放浪するうちになににもとらわれない自称詩人のイシハラなる中年の元で生活を始め、イシハラを中心とする共同体に属しながら、やっと自分らしく自分の個性を保持したまま生きる事が出来るようになった。

日本政府、福岡、遠征軍で重用される日本人など大なり小なり日本の側に属する「正しい共同体」を構成する人間は自らの保身を最優先に遠征軍に媚を売り、また事なかれ主義で事を運ぼうとしている。

一方そんな「正しい共同体」から徹底的に拒否され否定され排除されてきたイシハラグループの少年たちは死を覚悟して遠征軍と戦うことを選び、結果としてあんなにも憎んでいた「正しい共同体」を救うことになる。

それは市民や共同体を救うとか征服者を倒すとか誰かの犠牲になるとかいった単純でチープなヒューマニズムではなく、もっと人間の奥底にある、支配されることを拒否し、自分よりも強大なものに屈せず牙を剥く純粋な闘争本能である。

そして今までずっと自分を守るために自らの殻に閉じこもり外の世界を否定してきた彼らは、生まれて初めて自らの意思で自らの行動に意義を与え自らの存在の意味と価値を世界の中に見出すわけである。

物語の最後に、今までずっと仲間からも「狂ってる」と言われ続けてちょっと浮いていた、「仲間と敵」ではなく「自分と敵」でしか世界を見れない、テロリズムと大量殺人と大量破壊にしか生きがいを見出せないカネシロと呼ばれる青年が、神懸り的な運で弾に当たらずに対人地雷で撃ち漏らした敵を殲滅した後に、仲間と遠征軍の死体が累々と積みあがる場所に佇んで、爆弾の起爆スイッチを握って仲間を逃がすためにこう言うシーンがある。

これは俺がずっと夢見てきた世界なんだ。

やっと見つけたんだ。

だから俺はここに残る。自分でここを始末する。

今まで彼の欲する世界と欲望はずっと共同体の目指す世界と真っ向から対立していたし、彼が美しいと感じる世界をを彼以外の全ての人間は醜いと感じ、彼を否定していた。

しかし、彼のこの瞬間だけは今までずっと頭の中で妄想するしかなかった世界が現実になり、しかもその彼が心からの望んだ世界が生まれて初めて仲間から肯定され彼らと世界を助けることになった瞬間なのだ。

このシーンの美しさはただ単純な破壊と殺戮の恍惚といったものに属するだけではない。

美とは聖と俗の狭間にあるものだとよく言う。同じように本来なら決して一致しないはずのカネシロが心から望んだ選択がカネシロ以外の人間に絶対的に受け入れられて一致した軌跡の瞬間であるからこそ美しいのだ。

この物語の中で北朝鮮での全ての人的才能は軍人であることの有用性でのみ測られていたけど、日本では殺傷用ブーメランから破壊工作からヤドクガエルの飼育までありとあらゆる方面にその際のを発揮することが出来ていた。

ありとあらゆる方向の価値と方向性の多様性の融合にこそ本当の豊かさとか美があるのかもしれない。

そして「正しい共同体」が異端者を排除せずにその共同体の中で存在し続けるのを認める事を、ヒューマニズムとか人権とかいった根拠ではなく、通常では対処できない事態への先行対策やバッファのひとつの可能性として、自らの存在の保障の1つとして有用性を認める。といった見方もまた美しいように思う。

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