日記/雑記/妄談 18 3月 2017 適応と憐憫と恩寵 とても価値があるように思っていたものが気づくとそれほどでもなくなっていたり、また逆に今までなんとも思わなかったものがいつの間にやらとっても素晴らしく見えるようになっていたりすることは、人間生きていれば割とよくあることだ。 そんな我々に起こる内的な変化を人は成長とか老化とか、飽きたとか我に返ったとか目覚めたとか、その時その場合の立場や見方で色々な言葉で呼んでいる。 そんな変化は人間の中の精神的な部分[…] 続きを読む
ミュージアム 8 9月 2016 世界の巨匠たちが子どもだったころ@京都伊勢丹美術館えき 「終わりそうな展覧会の感想を書くシリーズ」今回は京都伊勢丹美術館えきで開催されている「世界の巨匠たちが子どもだったころ」についてだー 内容はタイトルの通り日本から世界までの巨匠と呼ばれる画家やデザイナーの10代の頃の作品ばかりを集めた展覧会である。 展示品はいろいろな博物館美術館から借りてきたのではなく、愛知の「おかざき世界子ども美術博物館」がこの趣旨で集めたコレクションをそのまま持ってきただけで[…] 続きを読む
いきもの 28 8月 2016 冒険者土偶、巨大ヤモリを捕獲せよ 部屋に巨大ヤモリが出没したので何とかしてほしいと依頼が入り、出かける用事もあったのでついでに寄ってゆくかということで依頼を受ける。 ヤモリが部屋にいるとかむしろご褒美やん。と思いつつもそこは創世記の昔から蛇とか爬虫類と女子の間には敵意が存在するのだ。 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、[…] 続きを読む
ミュージアム 23 8月 2016 「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」@伊丹市立美術館 岡崎京子とニーチェとバタイユとフェミニズム 伊丹市立美術館で開催されている「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」に行ってきた。 結構マイナーな展覧会らしくあまり情報がなく、この春に世田谷文学館で開催されてから、夏に私の行った伊丹市立美術館と冬に福岡県で開催されるだけであるようである。 この展覧会では岡崎京子がまだ子供時代だった頃に戯れに描いたイラストから、学生時代に掲載された作品に始まり、書籍化されている代表作の原画だけではなく、単行本化さ[…] 続きを読む
ミュージアム 22 8月 2016 京都市美術館の「ダリ展」と京都文化博物館の「ダリ版画展」、そして京都国立近代美術館 先日、京都市美術館で開催されている「ダリ展」、その向かいの京都国立近代美術館のコレクション展、そして京都文化博物館の「ダリ版画展」と3つの展覧会をはしごしてきた。 サルバトール・ダリなる人物は生まれつきの天才で、奇人で独創的なシュールリアリズムの画家というイメージがある。 しかし、若いころはモネ風な印象派だったりピカソ風キュビズムだったり、マティス風フォービズムっぽい絵を描いたりしていたし、彼が自[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 10 8月 2016 旅行が好き 1年ほど前からなんとなく旅行の合間に生きているような気がする。 それまでは何かしらのおぼろげな目標のようなものはあった。通過地点も方法もわからないけれど、それでも、少なくとも目指すべき方向性というものはあった。 しかし、突如それが消えてしまうと、走性の方向を見失い、残存する快不快の欲求原理にしたがってのみ行動する微生物のように、数ヶ月の間隔で数泊する旅行に行き、美術館や博物館をひたすらめぐり、音楽[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 25 4月 2016 あれから10年も、この先10年も 半年間このブログを放置していたけど、それでもずっとこのブログのことはそれなりに気にかけてはいた。 しかし気がつけばこのブログを書き始めて10年も経っていて、いったいこの10年間は何だったのだろうかとw もうずっとブログを書くにも書こうと思う事がそれほどなかった。と思いつつも、ほぼ毎日更新していたころは何について書くかを決めてから書き始めていたのではなく、とにかく何でもいいから書き始めているうちに何[…] 続きを読む
ミュージアム 27 10月 2015 大原美術館再訪/熊谷守一と地獄変/下手も人生のうち 先週の末に友人たちと倉敷に行って来た。 友人たちはレンタルサイクルを借りて、いわゆる「美観地区」をぐるぐる巡るスタンプラリーのような事をやっていたのだが、私は独りでほとんどずっと大原美術館にいた。 二年前に行った時は時間的に制約があったので思う存分堪能したとは言い難く、大原美術館はええとこやーという事だけがわかった状態だったけど、今回は好きなペースで心ゆくまで大原美術館を堪能できたように思う。 週[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 26 10月 2015 ブログを気分的にリニューアルする 「降りかかって来た」と見えるものを後から見てみれば、ゆっくりと段階を踏んで着実に積み上げられ、そしてそれが必然的に崩れたものである事がよく分かるし、 断ち切られたかに見える時間の繋がりも、よく見れば徐々に細くなってやがて切れてしまったものだという事が理解できよう。 マクロ的に突発的な災害に見えるものは、ミクロ的に見ればいくらでも予測も回避も可能だった予見可能なものであったという事になる。 そして、[…] 続きを読む
ミュージアム 12 10月 2015 マグリット展@京都市美術館 / 世界の綻びを押さえる 終わってしまった展覧会の感想を書くシリーズ、今回は今日で京都市美術館での会期が終了してしまった「マグリット展」だー ルネ・マグリットは20世紀初頭に(正確には1898年やけど)ベルギーに生まれた、向精神薬の販促ポスターのような絵でお馴染みの、いわゆるシュールレアリスムに分類される画家である。 まぁこんな感じで、観ていると、何時も過ごしている日常が実は見えないところで歪んできているような、な[…] 続きを読む