欲望対象がインフレ

先日からルドルフ・オットーの『聖なるもの』を読み始めた。読み始めて直ぐ位は「むむむ…面白くない…参ったなぁ…」と思っていたのだが、三章に入ったあたりから俄然面白くなって来た。「被造物感」なる目新しい単語にメロメロである。
本は読みたいけど、ピアノも弾きたい。むむ…悩むところである。
他にも、コンピューターは触りたいし、映画は観たいし、ハンダ付けもしたいし、数学、世界史、物理、プログラミング、ナドナド等、勉強したい事も沢山ある。
遊びにも行きたいし、美味しいものも食べたいし作りたいし、海にも行きたいし、もう欲望のてんこ盛りである。
いわば欲望対象のインフレ状態やけど、対価として支払われる(ように見える)私の行動や行為や時間が過剰になって価値が下がるのは嫌やなぁ。
いや、私の行動や行為や時間は等量で増減しないから、獲得される欲望対象の質や量を低下させる事でバランスを保つのか?
と、やっぱりこの「器用貧乏」的な結論になるのだろうか…

2件のコメント

  • 器用なだけ、断然良いじゃないですか!b

  • ありがとうございますです。
    まぁ不器用貧乏よりましだと思う事にしますです…

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