映画:ハーモニー・コリン「ガンモ」 / 癒し系グロ映画 /デビュー作らしいデビュー作

amazon ASIN-B0000CCNG3先日見たハーモニー・コリンの「ミスター・ロンリー」 がとても素晴らしかったので、同監督の初監督作品である「ガンモ」(1997/米)を借りてきて観た。
ピンクの「うさ耳」をつけた少年が便器に座ってアコーディオンを弾くポップな感じのパッケージだが、この映画は、このようなイメージから通常の思考回路で想像されるところからは遥かに隔たっている
ジャケ借りやジャケ買いした人はさぞかし驚いただろう。
過去に竜巻に襲われて町中を破壊しつくされた、白人系の下層階級の人々が住む田舎町で、閉塞した日々を送る若者たちの姿を、空気銃を持ち歩き、殺した猫を肉屋に売って小銭を稼ぎ、シンナーを買ったり女を買ったりして暮らす少年二人を中心にして描かれる物語である。
ストーリーのようなものは全く無く、ただ町の人々の日常がドキュメンタリーのように切り貼りされて流される。
タイトルの「ガンモ」の意味はよくわからない。


いわゆる普通な人が全く出てこず、出てくる人全てが、精神的、肉体的、心情的、倫理的な人間の属性のどこかに欠陥がある人間ばかりであるし、映画に出てくる家のことごとくがゴミ屋敷であり、彼らは非生産的な遊びと非生産的な日常に明け暮れている。
映画の中のその欠陥のある人たちの暮らしが妙にリアルで、生活して生きることのグロテスクさが、強烈な濃さでこれでもかと映し出される。もうこれはある意味でグロ系映画といっても良いように思う。
そんな様々な欠陥のある人たちが寄り集まって、前に進むでもなくゆっくりと後退してゆくようななんともいえない閉塞感は観ていてとても息苦しかった。
一方でこんなにもグロい暮らしをする彼ら欠陥を持つ人々が、映画の中でなんと素晴らしい表情を見せることか。彼らに対する優しさや愛が無ければ、彼らのこんな素晴らしい表情を撮ることは出来ないだろうと確信する。
次々と繰り返される、彼らの目を背けたくなるようなグロい暮らしを、息の詰まりそうな閉塞した非生産的な暮らしを、ただそこあるものしてニュートラルに見せる事自体が、監督の視線の優しさであるだろう。
良いや悪いや肯定や否定といった価値判断を挟むのではなく、ただ事実をそのままに見ることや見せることの優しさというものもあると思う。
乳首に黒いガムテープを貼った三姉妹がベッドの上で飛び跳ねるシーン、マッチョ兄弟のじゃれあいが喧嘩に発展しそうになるシーン、父親から娘を買った少年がその娘と語るシーン、息子に銃を突きつけた母がタップダンスを踊るシーン、雨のプールで女の子と戯れるバニーボーイのシーンが大好きだ。
本当にこの監督はとても印象に残るシーンを多く撮るなぁと思う。
最初に「ミスターロンリー」を観た目からすれば、映画としては「ミスターロンリー」の方がはるかにすばらしいけど、この監督の人々を捉える捉え方やら、人に対する見方を凝縮したものがこの「ガンモ」になるのだろうなと思った。
映画としての総合的な完成度では、「ガンモ」よりも「ミスターロンリー」があらゆる意味で優れているけど、強烈さやインパクトと言う意味では「ガンモ」の方が強い。
正にそれでこそデビュー作らしいデビュー作なのだろう。
やっぱりこの監督はとても良い感じである。

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