親密であるとは

電話ではあるが、久しぶりに某氏と話した。時間的に、距離的にどんなに離れていようとも、一旦話し出すとすっと隣り同士に立っている感じがする。深いバカ話というのは良いものだ。
数年に一度会うか会わないかの中学時代からの友人がいる。
昔は家が近いせいでしょっちゅう一緒に釣りしたりグダグダしていたが、当時はお互い家が近い上にお互いヒマやからこの仲の良さなんだと言い合っていた。
しかしながら今、どれだけ遠くに住んでいても、どれだけ時間的に離れていても、どれだけ立場が変わろうとも、彼との繋がりに何らかの支障がある事は無いと私は確信している。多分彼もそうだろう。
常に連絡を取り合い、いつも一緒に遊んでいることだけが仲が良いのではない。結局は親密さというのは無条件的で潜在的で主観的で率直なものであるとつくづく思う。
今流行の「友愛」の情はコミュニケーションの頻度と量で示されるのではなく、単位あたりの主観的深度で感じられるのだろう。
それは時間、空間、状況、立場の制約を受けない個人と個人の親密さなのだろうなと思った。

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