「毒電波お店ソング」 VS 「イズミヤの歌」
何かの拍子に聞いて頭からそのメロディーや歌が離れなくなるって事は誰にでもあることだと思う。
先日とあるお店行った時に、ひたすら店の名前を連呼するだけの、ワンマン社長がGOサインを出したのであろう自己顕示欲と自己陶酔にのみ溢れたなんのひねりも無い「お店ソング」を延々と聞かされて発狂しそうになった。
思い出したくも無いのに頭の中を延々と流れる音楽に苦しめられていると、「毒電波に脳を汚染される」なる状態を身を持って体験したような気がする。
毒を持って毒を制す、或いは洗脳には洗脳、ということで、その妙な「毒電波系お店ソング」を追い出すために、そういった系統のやたらと耳に残る「お店ソング」を次々と歌っていたのだが、やはり群を抜けて素晴らしいのが、「さぁ~歩きだそう~」で始まるこのイズミヤの歌であろうか。
いままでうろ覚えでちゃんと歌詞も分かっていなかったけど、「毒電波お店ソング」を頭から追い出すためにちゃんと聞いてみた。
もう私が物心ついたことから知っている歌なのでずいぶん古いはずだが、う~ん。これはいい歌だ。無闇に良い歌過ぎる。
最後のサビの「草や木々が太陽に向かって 静かに花びら開くように きっと」って部分で突然スケールがでかくなっているうえに、「静かに」ってところがなんともジワジワ来る。
そして、最後の「さぁいつの日か夢が実るだろう」が「大切なことなので2度言いました」 的に2度繰り返される所も余韻があっていい。
それに店の名前が一度も出てこない所が奥ゆかしい美学のようなものを感じますな。
凹みに凹みまくっている時にイズミヤで聞いたら大根とサンマの入ったカゴを持ったまま立ち尽くしてハラハラと落涙してしまいそうな勢いである。
とりあえず無駄にフルコーラスで覚えたので風呂に入って歌ってみたらなんとも気分が良い。
当初は「毒電波お店ソング」を追い出すために歌っていたはずだが、もうすっかり毒電波もどこかに行ってイズミヤの歌自体が目的化している。
これからはどんな「毒電波お店ソング」を聞かされても「イズミヤの歌」さえあれば恐れるに足らぬような気がする。
保証を確認しようとする行為自体は何かしらの弱さの反映であったとしても、対「毒電波お店ソング」としての「イズミヤの歌」のように、なにかしらの確固とした「心の保障」のようなもの得るのはやはりとても力づけられるものである。
たとえ他人から見れば余りも馬鹿馬鹿しくて取るに足らなかったり全く理解できないものであったとしても、、本人にしか価値の分からないとても大事なそういったものどもを心の奥底に秘めてこそ、人は現実的な色々なものと戦うことが出来るのだろう。
とはいえ、はたから見ればお風呂で「イズミヤの歌」をノリノリで熱唱している様はやっぱりちょっと残念な人ではありますな。