帰納的人間
有名サイトなのでご存じの方も多かろうが「無限回廊 endless loop」というサイトがある。
日本で起こったり日本人が関わった海外の凶悪犯罪を、弾劾するでもなく裁判記録としてでもなく淡々と説明しており、読んでて飽きない。
以前はよく読んでいたのやけど、この日久しぶりにまた読み直してた。仕事終わってからどちらかと言えば鬱系のこういうサイトを読みふけるのもいかがなものかとは思うが、中々面白かった。
このサイトで述べられている凶悪犯罪に対しての記述のスタンスは、冒頭でも述べたように非難でもただの記録でもない。
このサイトに掲載されている文章はサイト運営者が主に書籍を元に、犯人(や被疑者)について生い立ちやら犯行の状況やらをまとめたものである。
作成者の感情や意図を殆どを感じない中立的(と言って良いのか?)な文章になんだか好感が持てるし、サイトの説明ページには「どうしてそのような事件が起きてしまったのか」と「どのような経緯によって生まれるのか」と言う事を主題においているようなことが書いてある。
確かに「本当の犯人像、事件の真相」を捉えようとしている意図は伝わってくるし、文章力というよりは筆力といったものを感じる。
ここで述べられている事も作者の見解の一つに過ぎないはず。とは思いつつも犯人や被害者の感情や様子がリアルに浮かび上がってくるように感じる。
当然のことやけど、個別の事件には個別の事情や理由がある。犯人にとって何がトリガーになるかは解らんし、被害者が被害者となる必然性も当然ながら全くない。
人間の起こす行動に統一性だの一般性だの普遍性など望むべくもない。
小説好きの俺にとっては、そういった犯人や被害者と言った個別的な物語を聞く(見る)のに非常に興味があるし、個別で特殊な事から一般的な(普遍的とは言わない)事が見えてくるのではないかと思っている。
推論の方法としては個から一般へと至るこの「帰納法」は、結論を導く為の手段としては信頼性が薄く、蓋然性の導出にしか留まらんのやろうけど、先に述べたようにそもそも人間自体が確実な意味での一般性を持っていないねんからしょうがない。
逆説的やけど、個別性に注目すればするほど、動機とか欲望とかのレベルでその個人の持つ一般性というか凡庸性が見えてくるわけで、逆にその事こそに人間一般の悲しさを感じる。
「カラ兄」で人類全体を愛せても個人を愛する事は出来ない、と言うような事を言っている医者の事をゾシマ長老が言っていたけど、俺は逆に人類とは行かないまでも人間一般や特定の集団に対して否定的な感情を抱いても、そこに属するだれか個別の人間に対しては同情を感じる事が多いようだ。
だからどうしたと言っても何もないんやけど。