動機と手段は兎も角

昼ぐらいに起きてツールの結果を確認し、ご飯を食べる。
自転車に空気を入れ、刷毛で汚れと埃を落とし、オイルを差しなおし、バーテープを内から外へ、最後はエンドキャップで止めるやり方で巻き直す。
コーヒーを飲みながら昨日の分のエントリーをアップ。
今読めば色んな負のフォースが充満している。ついカッとなってやってしまった。今は反省している。と言ったところか。
タイトルまで救いようのないくらいにイタい。
激しく消したくなったが、まぁ書いたものはしょうがない。
後は本を読んで過ごす。久しぶりにCharles Bukowskiを読む。
気がつけばいつの間にか寝ていたようで、起きてツールを見るも、50kmのタイムトライアルはなぜか余り面白くない。
電話に着信があった事に気づいたので掛け直す。
飛行することなく部屋にあった「ドラえもん」が引き取られ、部屋が広くなった。


日付が変わろうとする時間帯から自転車に乗る。鬱屈した気分と、どうしようもない感情を吹き飛ばすために自転車を漕ぐ。
下ハンを握り、とれるだけの前傾姿勢を取って、何も考えず肉体感覚の塊となって、汗をボタボタ落としながら、肩で息をしながら、何かを振り払うかのように、何かから逃げるように必死にペダルを回す。
車が少ない夜の町を疾走するのは気分が良かった。車に乗っているカップルに笑われようが、暴走族を追い抜いて怒鳴られようが、自分の肉体で風を切って前に進む感覚は何物にも換えがたい。まるで何かの比喩のようだ。
必死で数十キロの距離を自転車で疾走していると、肉体が酷使されて失われたエネルギーが精神的な所から補填される感覚で、段々邪念が消えてゆく。
生きていれば否が応でも、考えたくもないような事まで考えねばならないし、考えたくなくても勝手に頭が考えてしまう。しかし、少なくとも自転車に乗っている間は何も考えなくて済む。
どうせ自転車から降りればまた何事かを考えざるを得ないので根本的解決になっていないにしろ、一時の波さえ凌げば大丈夫な事もある。
今まで、おおよそ体育会系と対局の位置にいた人間であったが、自転車に乗り始めてから無駄に身体を酷使する事で何が生まれるのかを知った。
それはマゾ的感覚であり、自分に限界がある事を使ったトリップである。おまけにカロリーまで消費する。
とは言っても、俺は体育会系的発想で草レースに出たり、休みごとに山を攻めたりする気はない。
人と競う気もないし、人と自分を比べる気もないし、完全に自分自身で完結している。
俺にとっての自転車はライフスタイルのパーツの一つであり、生活の一部である。
自転車がなければ、俺はもっと酷いところにいただろうと思うし、今より自分自身を持てあましていたと思う。
自転車があって本当に良かった。そう思った一日だった。

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