毒ではないが食べ物でもない
2006年7月17日
昨日、本を読み終えた後の夜中にロードで街を疾走した。
交通規制が解除されたばかりの宵山の烏丸通りに紛れ込んでしまい、鉾と山、散らかったゴミと人の群れの間の低速走行を余儀なくされるも、概ね高速な巡航速度を保って数十キロを走る。
走っていれば鬱屈した気分と湧き出てくる邪念が消えている事さえ気づかない。
そのまま消えて無くなってくれれば良いのだが、さすがにそういうわけにも行かないらしい。
それでも、一時でも、綺麗な気分と空っぽの感情で肉体感覚の塊になる状態は何物にも換えがたい。
今日も自転車で走ろうと思ったがあいにくの雨で断念。
気がつけば「自転車で疾走依存症」なんかになっていない事を願う。
もしそんな依存症になってしまったとしても、見苦しくて醜い別の何らかの依存症であるよりはよっぽど良いかもしれない。とも思う。
自分の書いた文章を読み返して羞恥と屈辱の念を抱く事が最近になってやたらと多い。
それでも、それが今まで自分が受けてきた、あるいは今まで自分が人に対して与えてきた羞恥や屈辱と比べて、今感じるそれが如何に取るに足らないものであろうかとも思ったりもする。
「口に入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚す」と言った偉人がいたけど、
既に書いてしまった文章は、書いた当時の言葉としては口から出たものであっても、時間が経ってしまえば俺にとって「口に入るもの」になるわけで、そういう意味で俺自身に対して有害なものではないのだろう。と言う気はする。
しかしながら、害があろうが無かろうが、そんなのは読んで気分の良いものでもないし、書いて気分の良いものでもない。
なるべくなら、可能ならそういう書き方は避けようと『悪童日記』を読んでから思うようになった。