あまりに単純過ぎるものは逆に複雑に見えるということについて
2013年1月20日
単純化されたゲーム理論の話で、複数の人達が複数回数遭遇する場合に、相手に対して信頼と騙しの二つの選択肢を取れるとして、トータルで一番スコアの高い生き残り戦略は「最初は相手を信頼し、次からは相手にされた同じ振る舞いを返す」というものであるらしく、考えてみればその戦略は殆どの人にとって戦略というよりも経験的に確立されたルールとして一般化しているように思える。
人が人を嫌うときに良く使うエクスキューズとして「あの人は私を嫌っているから」というのがよくある。
それは心理学で言う防衛機能の「投影」として解釈されることが多いような気がするけど、最近は最初に書いたゲーム理論的な戦略がルール化されたものを無意識に倫理的な基準として解釈している場合もあるのでは無いかという気がする。
つまり、相手にされたことはし返しても言いというゲーム理論的に確立された戦略的ルールを、ルールとしてではなくモラルとして解釈しているのではないかということだ。本当は相手を嫌いたいけど、自分からは嫌えないので、相手から嫌われたので自分も嫌いになる。ということにするのがモラルに叶うと解釈されるということになる。
しかし、スコアを高く取るためのルールをモラルと混同するということは、スコアを取るためのルールとしては最低でも倫理的には最高である選択を、モラルとして最低だと解釈してしまうことになる。
その人にとっての基準がルールという名のモラル一つだけなのでとてもシンプルで分かりやすいはずなのだが、逆にモラルとルールを分けて考えている人には全く理解できないこともありうる。
余りにも単純すぎるのは、逆にとても複雑に見える。
そんなことを最近思うのであった。