情報不足で育った世代
2013年4月24日
私の父母の年代はモノの少ない少年少女時代を過ごしてきたせいか、モノや食べ物に関する感覚が我々子供世代と根本的に違うように感じることが多い。
そんな親世代の子である我々は、子供時代から過不足無くモノや食べ物に囲まれてきたお陰で、その親世代よりははるかにモノや食べ物に対して割り切った捉え方をしている。
しかし、我々の子供時代、モノは沢山あったけど「情報」はそれほど多くなかったように思う。「情報」を得られるソースがとても限定されていた上にそれにアクセスできる機会はとても少なかった。
そういった常に情報に飢えた状態の子供時代を過ごしてきた私は、我々の親世代がモノに対して余りにも執着しているように見えるのと同じように、情報に対して余りにも執着しているように思う。
得られる情報は全て一度目を通してから自分で取捨選択すれば良いと思っているけど、実際のところは「とりあえず持っておけばいつか何かの役に立つ」的な、モノに執着するタイプの親世代の発想と全く同じだ。
実際にはあまりの情報量の多さに全てをチェックすることは不可能だし、余りにも不快な情報も多い。それになによりそれらの情報が本当に役に立って毎日生活を楽しくしているか?
今までは余りにも多すぎる雑音の海の中から何かを見つけようとしていたがノイズで頭が痛くったり気分が悪くなりそうになることが多くなってきた。
使うか使わないかを考慮せずにりあえず全て入ってくるもの全てを頭の中に置いておこうとしていたら、そのうち頭の中がゴミ屋敷になってしまうように思う。
ということで、インターネットとソーシャルネットワークに対する姿勢を変えんといかんな。