nothingするということ
2013年5月9日
割と平凡なものでもingをつけたり、主義主張のワクににあてはめてしまうとそれらしく価値があったり特別なもののように聞こえることが多い。
例えばただの散歩をウォーキングと呼ぶことで1つのスポーツらしきものとしてのジャンルが確立されたり、自転車通勤する人を「自転車ツーキニスト」と呼ぶことで今の自転車ブームの開始点となるムーブメントとにまでになった。
とはいえウォーキングもツーキニストもただ言い換えただけではなく、もともとあった散歩や自転車通勤などというワクの中から価値を生み出したものであるといってもいいと思う。
その価値が創造されたものであるか発見されたものであるか?とか言い出すと話がイデア論的マーケティング論みたいな明後日の方向にややこしくなるのでパス。
ということで、とにかく、休みの日に寝てばかりいたりずっとひきこもってばかりいて「お休みの日とか何してるんですか?」とか聴かれていつも辛い思いをしている人は、自分が望んでやっているのだからここは勇気を出して、
「スリーピング(あるいはドリーミング)で汗を流しました!」とか「クロージング(もしくはアイドリング)を満喫しました!」
とか言っちゃえばいいのだ。
人間生きているだけで何かし続けざるを得ない存在なのだから、「nothing」するということは、「何もしない」ということを「あえて」「積極的」に行う、イロニカルにポジティブな行為でもあるのだ。