内ガンダーラにジャック・イン

「お天気メールを見るたびに土偶さんを思い出してます。」と年賀状に書いてあり激しく胸キュンだ。「また遊びに連れてってください。」と書いている人が数人いるも、どちらかというと俺のほうが遊びに連れて行って貰っているのだが…と思う。
つくづく去年は内に籠るような自己完結型の自分勝手な生き方をしていたなと反省すると同時に、何でこんな俺にみんな親切にしてくれるのだろうと不思議に思うよりも有難く思う。
来年のことを言うと鬼が笑うと言うので、去年のことを振り返ると鬼は怒るだろうからもう言わないことにするとしても、今年こそもうちょっとまともな生活を送りたいなと思った矢先に、いきなり正月から思う存分これ以上無いと言う程に引きこもっている自分に気付き愕然とする。
閉じた永久機関であるかのように見える内的な運動のサイクルを上げるために反応の環をどんどん小さくしようとするような、または、エネルギー順位が下がる反応の環の運動を保つためにそのサイクルを小さくするような印象を自分自身の「引き篭もり」に感じる。
そもそも「永久機関」などと言う時点で「ありえない物」という前提があるのやろう。「ユートピア」が外の世界の「すばらしく良いがどこにもない場所」なら、私の「引き篭もりライフ」が目指すところは内的世界の「すばらしく良いがどこにもない場所」という事になろう。
どこにも無いところを目指しているにも拘らず、その試みが潰えたところで死ぬわけでもない。いうなればそれら全て「余剰物」でしかありえない。
それでも、何かしらの素晴らしいものは全て余剰物から生まれてきたのではないか?と苦し紛れの反論の手がかりを暗い虚空に求める手がオッカムの剃刀でズタズタに切り裂かれる。
とは言いつつも、せっかくのありがたい正月休みやねんから思う存分好き放題やってもええやんということで、『ドン・キホーテ』の後編に取り掛かる前に、今日からはウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』の世界にジャック・インだ。

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