星に願いを
昨日仕事後に一年以上ぶりくらいにカラオケに行ったのだが、密室の中で引っ切り無しに吸われるタバコの煙のせいでちょっとでも声を出したら咳き込んでとても歌なんか歌っている場合ではなかった。
一緒にいたタバコを吸わない某松氏にその事を言ったら「そうですよ、家帰ったら服がタバコ臭いですよ」と言われて果たしてその通り、タバコ臭いわ呼吸器系は痛むわと、二日続いた休日出勤の締めくくりとしては最高であり、もう二度と密室でタバコが吸われるような場に行くものかとお星様に誓う土偶であった。
不肖土偶は元喫煙者であるからして他人の喫煙には寛容な方であると自分でも思うし、ヒステリックで攻撃的な禁煙者に対して如何なものかと思うけれど、密室でのタバコは暴力以外の何物でもないことを認めるのはやぶさかでない。
こんなことはタバコを止めてから初めて気付いた事であるけど、いままで俺はこんな事をタバコを吸わない人に対してして来たのかと、火の点いた薪の上に座しつつ切腹してお詫びしたい気分になった。
意図せずして人を傷つける、とか言う甘ったるく生易しいものでは無いやねこれは。
やめて初めてわかる事、振り返って初めて見えるものが世の中には沢山ある。そこには想像力の及びもつかない地平が広く広がっているし、当然ながら汲みつくす事など不可能である。
今まで自分のして来た事、これから自分でするであろう事に思いを馳せて絶望するのはあまりに簡単だ。
しかしそれでも、そんな荒野を一歩一歩進んで行く事が、現実的にはゼロを積み重ねるような行為に過ぎないとしても、数学的にはゼロではないという部分において救いがある。
現実的にものを見るよりも、数学的にものを見ることで得られる救いがそこにはあるはずである。
昼からピスト君で出かけたが、求めても得られなかったもの、求めるには遅すぎるもの、今得られなけば一生得られないであろうもの、そういったものでのみ世界は構成されているように見えて、参ったねこりゃ。
タバコ吸う人の文句言うくせに、海に空き缶投げたりコンビニ袋捨てる奴なんか何ぼでもいるので、結局そういうなんは個人差なんでしょうね。
私の場合もタバコはやめたけど他の事でなんか人にやってるやろなーと容易に想像できるわけで、結局タバコ吸おうが吸わまいが、現実的には大差ないので、そういう「人に迷惑かけてるかも」と考える事自体が大事なんやなと。さように思うようになりました。
私は現役喫煙者ですが・・・
最近、車からのポイ捨て、橋の上から川にポイ捨てする輩を見るに・・
同じ喫煙者として怒りと恥ずかしさをおぼえてなりません・・・
意図せずして人を傷つける・・・そうなんです。
そろそろ・・と思う次第ですが・・うぬぬ(ー’`ー;)