掃除とは一体なにを掃除するのか?
2013年9月13日
先日、突然思い立って、職場で使っているキーボードをバラバラに分解して水洗いしたくなった。
私の使っているキーボードはキートップを外して洗うことが想定してあるのでとても分解しやすい。
分解掃除の後はあらこんなに綺麗。
このキーボードを綺麗にしてなんか変なスイッチが入ったように、自分の部屋の掃除や片づけや整理をはじめた。
よくよく考えれば、私が部屋の片づけをしたいと強く望む時は結構特定の心理状態になっていることが多い。
そして自分自身の行動を見て、自分自身の気持ちを知ることも多い。
アクティングアウトして自分の行動を見てみれば、同じ行為がなされる場合に、ポジティブな原因とネガティブな原因のまったく正反対のどちらでもありえるわけで、人間が如何にややこしくできているのかが良くわかる。
「私の行動」は私において認識する主体である「ココロ」からすれば認識される側である「モノ」に属するはずである。
でもその本来は認識される主体である「モノ」が、認識する主体である「ココロ」に対して何かしらのメッセージを送ろうとしていると感じられるのは面白い。
たとえ「ココロ」が認識する主体であったとしても、行動する主体はどこまでも私の中の「モノ」なんだなと思う。