『告白』半分過ぎ

一日アウグスティヌスの『告白』を読んでいた。10巻に入り過去の告白の部分は終わったのだがとっても感動した。
良く考えれば西暦400年くらい、今から1600年以上前の人の心の動きがダイレクトに伝わって来て我が事のように共感できるってのはとても不思議な気がする。時間と場所を超えた普遍性とはこういう事を言うのだろう。
でも逆に言えば、文明の進歩が全く介入できない個人性のレベルで、普遍的に我々は血の涙を流して苦悩する存在でもあるわけだ。いくら科学的知が発展して増大しても人間個人の問題は変わらないと言うのは当たり前といえば当たり前だ。
今まで家にあった無線LANのアクセスポイントはちと古くて、パソコンなら何とか動くもののアドエスではちゃんと動かなかったのだが、新しいアクセスポイントにして繋がるようになりとても快適である。しかしこの事でアドエス用に買ったUSB有線LANの存在意義が殆ど無くなってしまった。
一つの価値の興起や復権は、別の一つの価値を完膚なきまでに叩きのめすのであった。

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