道路凍結、日常生活に支障はあるか、施し

この日の朝も道路は凍結していた。激坂の下りで後輪を流しながら、信号待ちからのスタート時に後輪をホイルスピンさせながら出勤する。
肉体的な異常は日常生活に支障が出た時点でかなり病状が進行している事が多いのに引き換え、精神障害が病気とされるのは日常生活に支障が出るかそうでないかで判定するべきであるらしい。日常生活に支障が出れば病気、そうでなければ正常。と判りやすい。
なぜなら精神障害を症状そのもので判定してしまうと、殆どの人間が何らかの範疇に入ってしまうからであるという。
人間はその異常な部分と正常な部分のせめぎあいとしての精神状態をもっていて当たり前で、それらのバランスを取りながら暮らしていると。
ネガティブ要素を持っているのは当たり前でも、そんな部分に日常生活全てが乗っ取られてしまうとイカンと言うわけですな。
でも、その尋常ならざる精神状態に本人が慣れてしまって「日常生活とはそういった不具合があるもの」と思ってしまえば、異常と正常の境界線など簡単に書き換えられてしまうわけで中々難しいものである。
この日はバレンタインデーであった。この日、告白的要素の無いチョコレートの授受は限りなく施しに近いものがあると思った日であった。
チョコ(やシフォンケーキ)を下さった貴方に神の祝福がありますように。
と施しに対する御礼をヨーロッパ的に。

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