ぶちっと切り替わった日

数日前に大事に思っていた人間関係が、心情的な方向性とは全く逆に、思いがけなくぷっつり切れていたのを知ったのを切っ掛けに、この日、人間関係であるとか仕事であるとか個人についてであるとか、そんな色々な事に吹っ切れるものがあった。
もう音を立ててぶちっと何かしらかが切れるか切り替わるかの位の勢いである。
言ってみれば、個人性のレベルではいくら稀有な存在に見える人間でも、社会性のレベルでは完全に代替可能な存在であると言う事だ。
自分のいない世界など想像できないけれど、自分がいなくても世界は何の問題も無く機能し続ける。
逆に言えば、世界にとって代替可能不可能な人間が存在すると言う事は世界にとっては損失になる。なぜなら、死なない人間が存在しないが故に、その人間の死によって世界から永久に何かが失われてしまうことが既に決定しているからだ。
社会性の部分の発現としての仕事であるとかなにかしらの人間関係では、自分がいつ死んでも滞りなく自分の持ち場に誰かがすぐにつけるように、少なくともちょっとした労力で自分の代わりが勤まるように準備しておくことの価値は、自分がより高い価値を持つ仕事をすればするだけ高まってくるのだと思った。
一代で終わる文化はただの作品であり、一代で終わる王国はただの統治でしかない。

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