鬱のジェットストリームアタック
2006年2月5日
突然ではあるが冬は鬱の季節である。さらに言うと春は冬よりもさらに輪をかけた強力な鬱の季節である。
近代化≒西洋化した日本は本来24個あったはずの季節を4つに単純化してしまった訳やけど、部屋にぶら下がっているカレンダーには二十四節気がちゃんと印刷してある。
昨日は「立春」ということらしいが、Wikipediaによると、「立春は一年のうちで最も寒いときに当たる。最も寒いということは、その翌日からは少しずつ寒さが緩んでくる、つまり春の気配が忍び入ってくるということである。」
なるほど、日本古来の春の概念まで近代化≒西洋化してる訳やね。別に西洋批判をするつもりでも、国粋主義を唱えるわけでもないけど、昔からあった季節感はすでに現在の我々には感覚として理解できないと言うことになる。
昔の季節感の感覚なしに、昔の季節的表記を今の季節感で受け取ると少々ややこしいことが起こる。
たとえば、冒頭で述べた、「冬は鬱の季節」「春も鬱の季節」に関連して「立春」という単語から受ける印象。
この日は一年で一番寒い日で身体的には「冬」を一番感じる日であり、「立春」という言葉に昔の春の感覚ではなく、現在で言う春の感覚を感じて来たるべき「強力な鬱の春」の予感を感じる。
さらに状況的な要素が加わって同時に三つの鬱要素が俺を襲うわけで、これはもうなかなか強力。
そう言うわけでこの日もどっぷり鼻の上までソラリスワールドに浸かっていた。
いつも心に太陽を