津軽三味線とボサノバ(ジャズとしての)

久しぶりにまともな服着てまともな靴履いて四条にでも行くかと起床するも、部屋の窓からの景色を埋め尽くす勢いで降る雪に愕然とする。
そいういう訳で本日も引きこもり決定。
いい加減Solarisばかりでは脳味噌が腐るので今日は趣向を変えてひたすら音楽を聴く。趣向変えついでに今日はクラッシックなしでジャズばかりを聞くことに。
家にあるCDとレコードを片っ端からかけて、耳についたものを後からもう一度聞くというやり方。
その中で今の季節と今の気分に前向きな意味でヒットしたものを二つ紹介してみる。


amazon ASIN-B00005G6W3

ハイ・サウンド / 高橋竹山



津軽三味線の孤高のカリスマ、高橋竹山の76年に行われた渋谷でのライブの音源と81年のスタジオ録音が入っている。

窓から降りしきる雪を眺め、寒さに震えながら火鉢で手を炙り、鉄瓶で沸かした白湯を飲みながら聞いていると、「津軽三味線」という音楽の底力を感じるような気がする。こういう音楽は決して南国では生まれないし、「人生は苦である」とも言うべき感覚を前提としたような音楽は津軽という地方の場の持つ力があったからこそ生まれたものだということを感じる。

さらにその津軽三味線に高橋竹山という独特な個性がプラスされることで津軽三味線であることを超えた独特の表現がでていると思う。なんと言っても「即興曲岩木」これに尽きる。

知らない人は全く知らないと思うので、高橋竹山について少し書と、1910年に生まれた彼は二歳にして麻疹によって半失明状態となり、小さい頃からそのことでいじめられる。学校には行かず15歳で家々で門付けして托鉢によって生計を立てる「ボサマ」に弟子入りし、独立後十年間程「門付け」で生計を立てる。

太平洋戦争が終わった頃くらいから注目されだし、渋谷でのライブや各地での演奏会などメディア露出が多くなる。1997年、満87歳で喉頭癌のために死去。

津軽三味線を世に知らしめた一番の功労者であり、メジャー化させたカリスマでもあるけど、彼の嫁の職業が「イタコ」であるというのが俺にとってのツボ。嫁はイタコです。素晴らしい。

津軽三味線がジャズか?というツッコミはあろうが、セロニアス・モンクのソロプレイよりは感覚的にはジャズらしいと思うし、少なくともクラッシックではないので…

amazon ASIN-B000005H4T

Dippin’ / Hank Mobley



65年に録音したこのアルバムはジャズ喫茶の人気盤だったらしい。なんといっても二曲目のボサノバを取り入れた「Recado Bossa Nova」のためのアルバムだと言われることが多いようだ。

アルバム自体もノリノリの軽いものとして扱われがちやけど、決してそんな事はないと俺は思う。各曲ともテーマの提示から各パートによる数小節ずつのアドリブ、そしてテーマのユニゾンで終了。というジャズの王道の構成でそれぞれのアドリブもどうしてなかなかすごいと俺は思う。好い意味でジャズとしてすごく明快で判りやすい。ジャズ通からすればその判りやすさがダメダメやということになるのやろうけど、判りやすいということは大事な事やと思うぞ。

B級テナー奏者と言われるHank Mobleyと職人的トランペット吹きと呼ばれるLee Morganはそれぞれ同時代の巨匠であるJohn ColtraneとMiles Davisの威光の後ろに甘んじるしかなかったわけで、百年後、マイルスとコルトレーンは人々に記憶されているやろうけど、正直モブレイとモーガンは微妙やな。という気がしないでもない。

彼らのアドリブからふとした時に「どうせ俺らは二番目以降だもんよ。越えられない壁があるんだもんよ」という悲しさが伝わってくるような気がする。モブレイとモーガンの「Recado Bossa Nova」のアドリブはどうだろう?音自体はボサノバやけど、なんかやりきれん悲しさで泣きが入っていると感じるのは俺だけだろうか?ただ泣きが入るだけでなく、それをちゃんと昇華しようとしているところが素晴らしい。

黒人であるという事と、ジャズ界で決して超一流とは言えないポジションから上がることができないという彼らの状況は、同情とシンパシーを感じずにはいられないわけで、マイルスやコルトレーンに無いメンタリティーとテーマが今日は心地よく響いた。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP