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2008年8月28日

攻撃に移る一瞬に隙がある? / 英雄に相応しからぬ子供

最近、とっいっても数日前からの話やけど、空いた時間にファミコンばかりしている。
しかも最近のゲームにはない、ひたすら攻撃本能と動体視力のみを刺激する男臭い硬派なゲームばかり。
まだ、ゲームセンターが殺伐として殺気に漲っており、ギャルなど一人もいなかった時代のゲームだ。
具体的に言うと、一昨日は「悪魔城ドラキュラ」を、昨日は「闘いの挽歌」をクリア、そして現在は「魔界村」に挑戦中である。
しかし昔のゲームは何でこんなに難しいのやろう。「悪魔城ドラキュラ」はまぁまぁ簡単にクリアできたけど、「闘いの挽歌」はかなり難しかった。ザコ敵でも囲まれると一瞬で体力半分は減るし、最後のボスなんかありえんくらいに強かった。一回攻撃されると体力が半分減る上に、リーチが長い上に動きが早くて近づけない。相手が剣を括り出す「溜め」の瞬間に懐に飛び込んで一太刀浴びせる。ってのを見つけるのに滅茶苦茶時間がかかった。
一見何の隙もないように見える敵は大抵攻撃に移る一瞬に隙があるってのは、ドラゴンボールからこういったゲームに至るまで、我々の少年時代にはありがちな設定であった。


しかし、ネット上で調べてみるに、ファミコン版「闘いの挽歌」はアーケード版のそれに比べて、家庭向けゲームに相応しい低難易度のような扱いを受けていた。
そういえば昔、アーケード版の「闘いの挽歌」をやってその難しさにもう一度やろうと言う気すら起きなかったような記憶がある。世界は広いなぁ。
こういったゲームのストーリーでありがちなのは、悪の帝王が世界を支配していて、圧政に
耐えかねた主人公が悪の帝王を倒しに行くパターンと、お姫様(もしくは恋人)が悪者にさらわれてそれを助けに行く。という二つの王道パターンであった。
苦難に苦難を重ねた道のりを走り切ってゲームクリアすることは、その世界の救世主となる事であり、または美しい姫を我が物とする事であったり、また、世界を救った上に美しい姫も手に入れるという盛りだくさんな事ことであったりもした。
自分が世界にとって何者でも無いながらも無根拠に自分は凄いと思っていたり、異性と付き合う事がまるで別次元の出来事であるかのように思われた、少年時代の心をなんともくすぐる設定であった。
いざゲームが始まってしまえばそんな設定なんか殆ど誰も気にしていないけど、ゲームのエンディングではそんなストーリーを結構意識させられたものである。
悪の帝王を倒す事は世界を救った英雄に相応しい行動であるし、さらわれた姫を助ける事はその姫を手に入れるに相応しい行動であった。ゲームをクリアすると言う事は少年にとっての貴重な英雄体験であったような気がする。
それでも、「そんな一人の男に軍ごと壊滅させられる程度の強さで良く世界を支配できなたなぁ」とか「自分が代わって悪の帝王になればいいのに」とか「荒くれ男達や魔物にさらわれて監禁されててタダでは済まなかったやろうなぁ…」「助けて帰って恥さらしになるよりはここで止めを刺してやったほうが良いかも」とか子供ながらに、とても英雄に相応しからぬ事を思っていたのも、今となれば懐かしい思い出である。

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