みたらし祭りの足つけ神事/年中行事でかつ世界救済へのささやかな試み

先日祇園祭の宵山で年中行事について色々と考えた事を書いたが、
この日も年中行事の一つである「みたらし祭り」のあ「足つけ神事」に行ってきた。
「足つけ神事」とは火をつけた蝋燭を持って「御手洗池」を膝まで水に浸かりながら渡り、罪やけがれを祓って対岸にある「井上社」に献灯し、無病息災を祈る神事である。
暑い中、下鴨神社の糺の森を歩き、身を切るような御手洗池に足を浸して蝋燭を運ぶのはとても気持ちいい。
タルコフスキーの「ノスタルジア」を観た人はどうしても有名な終盤のシーンを思い出すだろう。
タルコフスキーの「ノスタルジア」では「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」ということになっていたが、周りを見回してみれば多くの人が灯明を消さないように気をつけながら御手洗池を歩いている。そして対岸の井上社には消されることなく献灯された灯明が沢山灯っている。
「ノスタルジア」だけでなく「サクリファイス」でもタルコフスキーは、普通の人々がこっそりと誰にも知られることなく世界を救う様を描いてきた。
実は我々の知らないうちに世界は市井の人に何度も救われてきたのだ、今世界があるのはその人たちのお陰だ。というような事になるのである。
はじめてそう思いついた時には、今まで考えたこともなかった発想にとても驚きつつも感動したのだが、蝋燭の光の中で人々が灯明を持って御手洗池を渡っている、あまりにも平和でありながら神々しい風景を見ていると、なぜか不思議にその感覚が納得できてくるのであった。



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