アゴタ・クリストフ『悪童日記』『ふたりの証拠』

アゴタ・クリストフの『悪童日記』三部作の内の前二つ、『悪童日記』『ふたりの証拠』を読了。
作者のアゴタ・クリストフはハンガリー生まれの亡命した女流作家。
この本は彼女の亡命先のスイスでフランス語によって書かれ、フランスの出版社から1986年に出版された。
その後、日本語訳が出たのは1991年やけど、今から20年前に書かれた本という事になる。
第二次世界大戦のハンガリーに生きる双子が、疎開先で独特の彼らなりの倫理観とシステムでもってタフに生き抜く様が日記として綴られる。
アマゾンの評を読んでいると、既に「古典」のような扱いになっているようで、ほぼ全員べた褒め。
みんなが褒めるだけあって確かに面白かった。確かにお薦めできる本である。
古本屋には三部作のうち前二つしかなかったので、アマゾンで残りの一冊を注文しておいた。


amazon ASIN-4152077042amazon ASIN-4152077298双子は既成のモラルや価値からは超越した自分たちなりの倫理と基準のみに従って行動する訳で、そのために周りの大人達に「悪童」とされ「殺人鬼の卵」「ごろつき」等と呼ばれる。
必要とあれば躊躇いなく人を殺し、物を盗むけど、隣家の一家を助けるために司祭を恐喝し、脱走兵に食料と毛布を惜しげもなく与える。
この本がベストセラーとなる原動力となった、つまりは彼ら双子が主人公として魅力的に見えたのは、彼らが自らの律法を作って、それにのみよって動き、しかもその律法が大人達の振りかざすモラリティーとは根本的に異なったヒューマニズムに溢れているからだろう。
双子は生き抜く技術を身につけるために、「残酷さの習得」と称して気の進まない殺しの練習を動物たちに行い、「精神の鍛錬」として、日頃自分たちに浴びせられる、赤くなって震えさせられるような言葉に慣れるべく、お互いを汚い言葉で罵りあい、思い出すだけで目に涙を溢れさせる言葉に何も感じなくなるように「私の愛しい子」と呼びあう。
そこまでしてそんな世界で生き抜こうとする双子に「生きる意味」やとか「自分の価値」なんかを問うのは余りにも馬鹿げてるし、そういった問いを発する事自体が間違っているような気にさせる、そんな事を超越した何ものかを感じる。
表現力や記述力はある程度語彙に左右されるものやろうけど、実のところ語彙と言うよりは単語の使用の正確さに左右される。
三部作の内の一番最初の小説である『悪童日記』で用いられる、真実のみを記述するために曖昧さを廃して感情なるものには言及しない、と作品中で説明されている乾いた文体にかなり驚いた。
使用される語彙は少なく、文が記述する意味は単一で、表現と言うよりは説明や記述といった方が良い。
双子は感情を表す言葉を全く記述しない訳やけど、逆にその事によって、感情として説明されたものではなく、客観的に読み取れる他人の感情なるものが解釈として浮かび上がってくる。
それは言うまでもなく読み手の側のリアクションなわけやけど、「文体」であるとか「語彙」なるものについてかなり考えさせられた。

2件のコメント

  • 確か・・・中学か高校時代に「悪童日記」読みました。
    土偶さんの感想(?)を読むと、そんなに凄い本だったのか・・・と思い、もう一度読みたいという気になりますね。
    どの本でも、読みたいと思わせる力のある文を書ける土偶さんは凄いですよ。

  • 中学か高校に?なんか凄いですなぁ。
    一回読んでも、大きくなってから読むとまた違って見えるやろうし、読んでみると良いかもですね。
    文句を言うのは誰でも出来るし、わざわざ紹介して文句言うのも失礼な話なので、なるべく前向きな感想にしよう。
    と思って書いておりますです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。