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2006年11月13日

アゴタ・クリストフ 『昨日』

『悪童日記』三部作に続く、アゴタ・クリストフの四作目の小説となる 『昨日』を職場の図書館で借りて読む。ものの数時間で読み終わりちょっと量少ないぞコノヤロー。
内容は悲惨な家庭環境と祖国を捨てて逃げ出し、異国で工場労働者として孤独に暮らす、理想の女性を夢見る青年の物語。
と言うとありきたりやけど、流石にアゴタ・クリストフだけあって、「死こそ安らぎ」的な心象風景と、「何も感じない何も見えない」的な冷たい諦念に満ちた生活が綴られる様は明るい要素など皆無で相変わらず破壊力抜群。
この『昨日』は前作までのシリーズとはとはまったく関係ない別の話となるらしいけれど、雰囲気やテーマや語彙は同じような感じ。
とにかく暗い。どうしようもなく暗い。もうひたすら暗い。この人の書く本はなぜこんなに暗いのだろうと思うと同時に、この暗さを「ちょっと心地良いかも」とか思ってる俺ってどうなん?と思う。


前作までの、内から見た感情を表す単語を使用せず、説明や記述の口調で書くという原則は薄れて来てはいるものの、主人公の無感覚を目指そうとするような傾向は変わらない。
主人公と同じ祖国を持つ、亡命したり出稼ぎに来ている知人たちは「砂漠」と表現される単調で孤独な日々に耐え切れず、自殺したり刑を受けるのを覚悟で祖国に戻ったりするけど、主人公は「書く」事で何とか自分を繋ぎ止めている。
そしてあまりの絶望に「愛」に救いを求めざるを得ない状況になり、結局それも破局に終わって更なる絶望に叩き込まれ、好きでもない女性と結婚して子供をもうけ、書く事を止めるわけやけど、明らかにこれは全てを諦めて絶望の底で生きているようにしか見えない。
結局どんな絶望の底にあっても表面上は幸せな人間として生きて行き、少なくとも死なないで済む事は可能だと言う風にも読み取れる。
アゴタ・クリストフは「書く事」について、書くと言う行為は救いでもなんでもなく、書けば書くほど病は酷くなり、絶望は深くなるが、書かざるを得ない。と言い、「愛」についても男女間の愛と呼ばれるものに性欲以外の何者をも認めない。と言い切っている。
確かに、最終的な絶望とカタストロフを引き起こしたのは愛のおかげと言うことになるだろうし、その愛が無ければ破滅は起こらずに「プチ絶望」が続く日に変わりは無かっただろう。
そういうところは某サウザーのように「愛ゆえに!!」という所か。
さらに、そういう一般とはちょっと違う「愛」と「書く事」に関する著者の観点からすれば、絶望的な状況から更に愛を失って決定的に絶望の底に行き着いた主人公の選んだ、書く事を止めて嫌悪していた女性と結婚して子供をもうける。と言う道は、愛に絶望して一般的に愛の行為とされる「結婚」なる行動をを精神的でないものに定位したが故に正しい認識に達したと言うことになり、病の進行と絶望の増長でしかない書くという行為をしなくてもよくなったと言う意味で、アゴタ・クリストフにとってはある種の救いにすらなり得るのかもしれない。
そんなものすら救いになりえるような状況は何とも深い絶望なんやとは思うけど、それでもそんな認識もある種の真理を含んではいるだろう。
しかしながら、それより悲惨なのはそんな主人公の諦念の材料にされている妻であり子供であるだろうし、そういう絶望は一人で対峙して一人で処理すべきなんやろうなと、嫁子供を出汁にしてはいかんぞ、とモラリストを自認して止まない土偶は思うのであった。とアゴタ・クリストフもそう言ってるのか?
いずれにせよ「愛ゆえに!!」は永遠のテーマであると言うことは良く分った。

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