ミラン・クンデラ『冗談』

ミラン・クンデラ『冗談』を朝起きた瞬間から読み始め、夕食後に読み終わった。
いつぞやのエントリに書いた「図書館司書の精」のような女性に教えてもらった図書館の棚から借りてきたもので、分厚い二段組のハードカバーであったけど、とても面白かったので一気に読んだ。
『存在の耐えられない軽さ』『不滅』と比べて、ストーリーテリングで読者を乗せてどんどんドライブして行く感じの、王道の小説作法に則った本でとても読みやすい。
リンク先のアマゾンにあるものは新しい装丁やけど、実際読んだものは画像の通りのちょっと古めかしい装丁。内容自体は同じ(だと思う。)


amazon ASIN-4622048671この本のオリジナルは、今まで土偶が読んだ二冊『存在の耐えられない軽さ』と『不滅』のパターンである、フランス語で書かれてフランスで出版されたものではなく、彼が亡命する以前にチェコ語で書かれ、一年にもわたる検閲を潜り抜けた後チェコで発売されたものであるけど、後に彼が共産党を除名されてフランスに亡命した後はチェコで禁書扱いになった。
以前『不滅』を読んだ時の感想で書いたように、この作家は彼の社会的な変遷ゆえに全体主義やイデオロギーとの関わりのレベルを含ませた社会的な意味合いで語られる事が多く、この本は禁書とまでされたことで、そういった社会的な意味合いを多く含むように思われもするけど、作者自身は「まえがき」で「あなたのいうスターリニズムは勘弁してください。『冗談』はラヴ・ストーリーなのです!」と述べて、そこの所をなるべく否定しようとしている。
しかし、この物語がスターリニズム批判をテーマとしていないとしても、ラヴ・ストーリーをラヴ・ストーリーとだけ書いている訳では決して無いわけで、以前彼の作品を読んだ時きから感じていた、古典的テーマ、例えば、憎しみ、愛、民族などなどと真正面から向かい合い、それを現代的な感性で捉えようとしている。てな感じの印象はとても強くなった。
『存在の耐えられない軽さ』で彼はニーチェの言う「永劫回帰」や「重力の魔」に言及するわけやけど、この本の第7章でゼマーネクが肉体的利己主義的な世代が彼ら自身のエゴイズムで世界を救うだろう、と言うようなことを述べており、なるほどクンデラが目指しているのはそういうトコなのかと思った。
彼の属する没落する旧世代と、旧世代の遺物に全く興味を抱かない、世界を救う事になる筈の自己自身の肉体を愛する新しい世代の対比。
なんとなくツァラトストラと超人の関係に似ていないだろうか?
この小説のタイトル「冗談」は小説自体を現しているわけやけれど、主人公ルドヴィーク(Ludwig、ルードヴィヒのチェコ語読み?)の破滅はほんの絵葉書に書いた冗談から始まり、始終胸に抱き続けた憎しみと愛は結局冗談のように終わり、そういった主人公を巡る全ての悲劇すら悲劇になりきらず冗談で終わる。というか、そういった悲劇の構図すら新世代の他者の視点から見れば冗談にしか見えない。
それも最高に笑えない冗談であり、救いのようなものは殆どない。
クンデラはこの「冗談」という概念をニーチェ=ツァラトストラの言う「没落」として捉えているのではないだろうかとふと思った。
本を集中的に読んでいる期間は本に対する抵抗力やら免疫が上がっててちょっとやそっとでは何とも思わんもんやけど、金曜日からずっと本を読んでいたにもかかわらず、今日この本を読んだ事はちょっとした体験やったし、骨太で深みのある構成は二十世紀的な大作であることには間違いないと思う。

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