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2007年4月9日

シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』

この間の送別会で同僚の某氏がブロンテ姉妹大好きっ子だという事が判明し、中でも一番は『ジェーン・エア』との事なので、久しぶりに読んでみるかという事で読んでみた。
過去に一度読んだ事はあるけど、読み直すのはかれこれ15年以上ぶりになるかと思われる。
読んだのは、昨日返却に行った時にたまたま図書館にあった、発行所:京都修学社 発売元:英伝社 ブロンテ姉妹集4 翻訳 田中晏男 『ジェーン・エア』と結構マイナー(?)だと思われる版である。
ギャンブルと言えばギャンブルやけど、出版社も訳者もブロンテ姉妹集なるシリーズとか作ってそこまでブロンテ姉妹が好きなんか。という心意気を買った。
それに以前読んだのはベタに新潮文庫だったと思うので、まぁいいかという事で。
でも、まぁ、読むのが初めてなら新潮文庫のほうがいいかも知れんなぁと思った。原文を読んだ事無いけど、訳もちょっと硬いと言うか流暢でないような気がするし、解説も無いしね。


で、久しぶりに読んだ『ジェーン・エア』は素直に面白かった。殆どストーリーテリングの力とドライブ感だけで500ページ近い文庫本の上下巻、合わせて1000ページほどを1日で読破させるくらいやし。
少年ジャンプ的な「勇気と愛と希望」が満載であるにも拘らず、主人公のジェーンとお相手のロチェスターが美男美女ではなく並の容姿であるとされているところが読者の感情移入を存分に促し、熱狂的なファンを呼び込む一因であるだろう。
たしかに時代を超えた古典的な名作やというのが良くわかるし、古典的であるけど普遍的なテーマ、たとえば愛、勇気、知性、価値、美、醜、自立などなど子供から大人まで楽しめる要素が満載である。
しかし、そんな『ジェーン・エア』にも気になることが一つ。
女性の方から男性に愛を打ち明け、家庭教師が主人と結婚して一般的な社会通念からすでに逸脱してるはずやのに、なんでバーサの存在に拘るのか?好きどうしやったら最悪でも結婚という形式にこだわらんでもええやん?
いくら考えてもジェーンがロチェスターの下を去る訳が感情的にも論理的にも理解できんのはどうしたわけでしょ?

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