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2007年4月23日

J.M. クッツェー『石の女』

J.M.クッツェー『石の女』を読了。一週間ほどかけて2/5ほど、残りを昨日音楽を聴きながら一気読み。
最近お気に入りの作家であるJ.M.クッツェーがデビュー作の『ダスクランド』の次に出版した本である。
南アフリカの辺境の地主の娘である、男と世間に全く縁が無い孤独なオールドミスが主人公であり、クッツェーらしい複雑な仕掛けが施された226の文章の断片で構成されている。
一応ストーリーは時系列で進んでいくけど、内容は追い詰められた孤独な女の自我の物語と言った感じで、身の程とプライド、卑屈さと独善、妄想と現実、屈辱と暴力などがふんだんに織り込まれた、悲痛な独白と逃げ場を求める苦悩の論理が展開されており、哲学的であるとか難解であると言われるその文章は、そう言う次元で見るより先に、読んでて何ともいたたまれなくなる。


本の半ばあたりから主人公が本格的に狂いだして、ストーリの事実性までが揺らいでくる。斧で殺したはずの人が銃創に苦しみ、墓に埋めたはずの人がベッドで寝たきりになっている。
現実がつまらないので現実を創作したという主人公の言葉を取っ掛かりに、いくつもの現実が同時多発的に勃発し、完全に現実と物語と作中作の区別がつかなくなる。
とてもクッツェーらしいなんとも狂ってて凄まじい本であった。
「必要とされたいという思いから逃れられない」「私の守護天使は、-中略- たぶんあまり高望みしすぎないように忠告してくれる天使」「自分が生きたかった人生の為に-中略- 私はヘスペリスの涙を流す」「私は体重90ポンドの孤独で気が狂れたオールドミスかもしれないが、人畜無害とはいえない」
などに表される言葉はなんともクッツェーらしい。
哲学的だの文学的だの、エマニュエル・レヴィナスだのモーリス・ブランショだのを持ち出してややこしい解釈を施される本であるけど、わざわざそんなややこしい読み方をしなくても、とりえが無く無価値で取るに足らないけど、自我だけは妙に肥大した醜い人間としての苦悩と狂気を色鮮やかに描く自意識の物語として読むと、結構楽しめる。
いや結構相当キツイか?

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