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2013年9月11日

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド/事実よりも感情

全く最近まで知らなかったのだが、欧米では戦争跡地や虐殺や災害現場を訪れる観光が「ダークツーリズム」と呼ばれてひとつのジャンルとなっているらしい。

日本では「観光」なる単語がレジャーや楽しみの方向に直結しており、そういった場所を観光として訪れるのはあまりに軽薄で不謹慎であるといった違和感があるが、「ダークツーリズム」なる単語は我々が想像する「観光」よりも「社会見学」に近い言葉なのだろう。

最近読んだ『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』はかの原発事故を起こしたチェルノブイリをそんな「ダークツーリズム」のスポットの1つとして紹介しているのだが、そもそもチェルノブイリが観光地となっていることに驚いた。

多くの人は現在のチェルノブイリは荒野と廃墟だけが並ぶうち捨てられた、人っ子一人いない無人の土地だというイメージをもっているのではないだろうか?

しかし現在、事故を起こしたチェルノブイリの発電所は今も送電施設として現役で稼動し、原発施設や周辺にも毎日多くの観光客が訪れて多くの人々が暮らしていており、なんとなく想像していた死んだ町のイメージと正反対の印象を持った。

現在のチェルノブイリが観光や生活や電力の町としてウクライナの生きた一都市であることがよく分かる。

この本はそんな観光地としてのチェルノブイリのレポートと、チェルノブイリに関係ある、政府の人やガイドや博物館の館長などのインタビューを紹介することで、福島第一原発近辺を将来的に「ダークツーリズム」のスポットの1つとする可能性を模索するためのシリーズ本の第一巻となるようだ。

そのインタビューの中でチェルノブイリ原発事故の記念館の館長が、多くの記念館は事実を客観的に淡々と伝えるための展示が多いが、ここでは原発事故で起こった事実よりもその事故で渦中の人が何を感じ何を思ったのか「感情」を伝えることの方が大事だ。ということを言っていたのが印象に残っている。

確かに、我々が人に何かを強く訴えかけて伝えたいと願う時、その伝えたいことの本質は事実じゃなくてそこから引き起こされた自分の感情だ。

はっきり言って震災も原発事故も被害の解消へ向かって着実に前に進んでいると言う印象を全く受けないのにも拘らず、震災や原発事故に関して、外にいる人間が「どう考えるか」とか「どうすべきか」という言説で述べる言葉が余りにも多くて、震災や原発事故の渦中にある人たちが「どう感じたか」や「どう思ったか」がかき消されているような気がする。

この本のインタビューの中で殆ど全ての人がチェルノブイリが忘れ去られることを恐れており、物見遊山や興味本位の人々が訪れるのに傷つきつつも、忘れ去られるくらいならも来てもらえるほうがよっぽど嬉しい。という意味の事をいっていた。

そう考えれば、外にいる我々のような人間は、客観的に真実を見ようとしてどうすべきかを考え、そしてそうする事の障害になるものに憤るよりも、むしろ過去に渦中あった人、そして現在も渦中にある人の感情の言葉を聴くことの方がよっぽど大事なのだと思った。

人間は感情を全ての原動力にしつつも、感情を一番後回しにするところがある。もっと自分と目の前にいる人の感情を大事にせんとあきませんな。

  

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