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2007年9月23日

木田元 『ハイデガーの思想』

以前「哲学のエッセンス」のハイデガーを読んでちょっと興味がわいてきたので、なかなかに評判の高い入門書というか解説書の木田 元の『ハイデガーの思想 』(岩波新書)を読んだ。
ハイデガーに興味を持ったからと言っていきなり『存在と時間』にいかないところが私らしいというかなんというか…
内容としてはハイデガーの人となりからその思想までを網羅していたけど、分量からいくと『存在と時間』で展開されているいわゆる「前期ハイデガー」の話が多く、後期ハイデガーの言語論と芸術論も前期ハイデガーの時間や存在の話の延長として説明されていた。
ナチスとの関わりの話については結構詳しく書かれていたけど、ハンナ・アーレントとの道ならぬ恋については言及がなくちょっと残念であった。
総括して言うと、さすがに世評の高い本だけあってとてもわかり易かった。『存在と時間』の成立過程とその位置、その中で展開される前期ハイデガー思想とその展開形である後期ハイデガーの思想の骨子、そして彼が何を問題にして何をしようとしていたのかが良くわかった様な気がする。


『存在と時間』が仕事上の都合で何か一冊本を書く必要が出てきたがゆえに著された、上下巻組みで刊行予定の上巻のみであるという未完の本であり、しかも下巻で展開されるはずであった主論の基礎付けのような位置づけにあり、その内容が「現存在」たる人間に限っての存在論、「世界内存在」たる「存在了解」が世界である時間性の場で起こる事が「存在」である。というところだろうか。
結局ハイデガーはその「存在了解が現存在に先立つ」という意味で人間存在を規定するものとしての「存在了解」を撤回して、替わりに「存在の生起」なる概念を据える事になるわけやけども、ここの時間性と自ら成る意味での「存在の生起」の話は、個人的にニーチェの「力への意思」やら「永劫回帰」の一つの見方のような気がしてとても興味深かった。
著者はハイデガーを哲学者であると同時に哲学史家としても大きく評価しており、ハイデガー自身もそれを自認した上で西洋哲学史の流れの中で、根本的な意識改革を行うつもりであったという。
つまりは、アリストテレス以来の形而上学としての哲学の基軸となった、在る事は作られたものであるという前提に立った"~である"「本質存在」と、単純にもの自体の存在を指す"~がある"である「事実存在」に分けられた存在論を解体して、"在る事は成ったものである"とも言うべき「存在の生起」を軸にして「事実存在」を問う存在論を打ちたてようとしたらしい。
ナチスへの加担もそのあたりの文化改革を目指してのことだと著者は見るわけやけど…
本質存在の意味がキリスト教圏では大きな意味を持つのは良くわかるけど、存在があって次にその本質があるという日本人的な感覚からすれば、本質存在の解体がそんなに大きな事とは思えないのはしょうがないにしても、そのあたりの解説はなかなかにスリリングに楽しかった。
短い本やけど、ハイデガーの思想を軸にした彼自身の(西洋哲学史の流れを背負った)思想史を潜り抜けてゆく、景色が良く見えつつも爽快なドライブ感がある良い本であったように思った。
でも、アマゾンのレビューで言ってた人もいたように、ハイデガー自身がどんな問題意識や悩みからその問題と取り組むようになったのか、ハイデガー自身の個人的な部分が見えてこなかったのがちょっと残念だった。

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