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2017年10月27日

『深い河』の『リバーズ・エッジ』

今年の夏に初めて遠藤周作の『深い河』を読んだ。
大雑把に言えば様々な人生の重みやら苦悩やらなんやらを抱え込んだ主人公たちがそれぞれのテーマを抱いてインドへのツアーに参加し、清濁が混ざり合い混沌としたインドやらガンジスやらヒンズーやらに身を置くことで、人間とか生とか死とか愛とかいったような、いわゆる宗教的、哲学的と呼ばれるようなテーマに向かい合う様を描く物語ということになろうか。
確固とした文芸的ポジションを持つ重厚な文学作品であり、典型的なインドものでありロードムービーであり(映画じゃないけど)、そういう視点での感想のようなものはネットにいくらでもあるのでここでは書かない。

私がこの『深い河』を読むことで書こうと思ったのは、遠藤周作についてでもキリスト教についてでもなく岡崎京子についてである。

『深い河』の主人公たちは深い業を背負ったと自認しインドに旅することで自分と向かい合い人生やら業やらについて思いを巡らせ、そういったテーマで物語が進んで行くわけであるけど、主人公たちのツアーバスには汚いものやアジアが嫌いでヨーロッパやキラキラしたものが好きそうな、明らかにインドに来たことを後悔している三條夫婦なるものが同乗する。
主人公たちがヴァーラーナシーやらガンジスの風景と人々に心奪われる中、三條夫婦は暑いだの汚いだの臭いだのと文句を言いまくり、主人公たちがインドに向ける眼差しともテーマとも全く相容れない三條夫婦が、インドとインドに魅入られた主人公たちに生理的拒否反応を示して読者からのヘイトを集めることで、主人公たちの苦悩的特殊性やら文学的正当性を引きた立たせている。
主人公たちの「哲学的」な苦悩が「マス」代表である三條夫婦に理解されないところまで含めて典型的な「文学的」フォーマットといえるだろうし、実際に物語は最初から最後までそういったトーンで進む。

いわゆる「文学」が描いてきたのはこういった主人公の視点であり物語であった。
しかし、岡崎京子は三條夫婦のような、文学的には無価値とされるキャラクターの視点から同じ風景とテーマを描いたのだ。
今までの文学が深く苦悩する主人公たちが世界の闇と真正面から向き合うものだとしたら、岡崎京子の描く物語は世界の歪みや闇に飲み込まれつつも苦悩とは無縁にサバイバルするミーハーとかスイーツとかモブとかマスとか呼ばれる人々の物語である。

岡崎京子の描く物語世界でも依然として世界は『深い河』の世界と同じように業と生と死と愛に満ちた世界である。
そして登場人物たちも同じように怒ったり泣いたり笑ったり混乱しつつも、文学的苦悩とはまた違う方向性で生き延びようとする。
『深い河』の主人公たちが岡崎京子世界の主人公のような「三條夫婦」と対比させられることでよりその影と深さを際立たせたように、岡崎京子世界の主人公たちは彼らの住む日の当たる明るい世界で自分が何にに苛まれているのかすら無自覚にもがき苦しむことで、実はその世界の地下に根を張っている闇と影とその暗いあり方を示唆しているように思えるのだ。

岡崎京子は「マンガは文学になったと」評された『pink』をオッサン向け情報誌である『平凡パンチ』に、岡崎マンガの代表作である『リバーズ・エッジ』を女性向けファッション誌である『月刊CUTiE』に連載していた。
決して『深い河』やら『シーシューポスの神話』やら『夜と霧』やら『塩狩峠』やらを読むタイプの人に向けて描いてはいなかった。
岡崎京子世界がただチャラくて軽くてスイーツな登場人物が登場する物語で終わらないのは、彼らを通して語られる世界が人生と人間の深部にダイレクトに触れているからだ。
岡崎京子世界の登場人物は典型的な文学作品のように生老病死に苦悩したり哲学的問いで思い詰めたりしないし、よくある人気漫画のようにスポーツやら芸術やら何かしらの道に打ち込んだり、自らの出生やら運命やら世界征服を企む敵やら世界の破滅と戦ったりなどしないし、愛やら恋やら運命の人やらと出会うことで救われたりもしない。
そもそも何かについて考えたり何かに熱中したり何かを目指して努力することもなく、ただ訳の分からない不安や違和感に苛まれ続け、時に降って沸いたような破滅に巻き込まれたりする、「哲学・文学・宗教」あるいは「友情・努力・勝利」あるいは「愛・恋・運命」と無縁の我々同じ圧倒的大多数の「モブ」のうちの一人である。

岡崎京子の描くのは「深い河」そのものではなく、その縁で生きざるを得ない圧倒的大多数の人の世界である『リバーズ・エッジ』である。
岡崎京子世界は『深い河』の『リバーズ・エッジ』なのだ!

と、これが言いたかっただけ。

岡崎京子についてのそのほかのエントリはこちら
岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」@伊丹市立美術館 岡崎京子とニーチェとバタイユとフェミニズム

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