区切る

7月最後の日。密かに自分の中で「区切り」としていた日だ。
2006年が始まると同時になぜか自分の真ん中あたりにポッカリと空いた「隙間」を知識欲で埋めて行こうと思っていたのだが、この区切りの日に振り返ってみても何一つ納得できるものがない。
このまま一生何一つモノにすることなく朽ち果ててゆくのかと思うと底知れぬ恐怖を感じ、妙な焦燥感に追いまくられる。
他人や自分の悪いところばかりが目に付き、他人に対して、何よりも自分に対して容赦ない攻撃性が牙を剥く。これは明らかに良くない傾向だ。


人間の住む世界や人間がどれだけ醜くてどれだけ歪んでいようと、自然界に住む生き物たちを取り巻く世界は、そんな人間の歪みや醜さには何の関わりも無く美しいという事実はなぜか俺をほっとさせる。
しかし逆に、そういう自然に触れた後、人間の世界や自分とのコントラストが際だって、ますますうんざりしたりもする。
家に帰って音楽を聴きまくり、世界に救いがあるとする人たちの、少なくとも救いがあると信じていた人たちの音に耳を傾ける。
カラ兄の末弟アリョーシャはコーリャ少年に、非常に不幸な人間になるとしても全体として人生を祝福しなさい。と言った。
ルートヴィヒの音楽、少なくとも弦楽四重奏とピアノ・ソナタはこの境地を体現しているように思えてしょうがない。
苦悩の中から生まれてくるのは、シンフォニー的歓喜ではなく室内楽的祝福。
どちらかと言えばそれは感情と言うよりは意志の問題のように思えるし、こっちの方が俺にとっては想像力の範囲内に近い。
とてつもない苦悩にありながら人生を祝福する声が聞こえてくるのは何とも言えない感動を覚える。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP