『素数の音楽』 マーカス・デュ・ソートイ (著)
最初は気軽に読むつもりで借りて来た『素数の音楽』やけど、借りてびっくりした。やたらと分厚い。もうカムイ伝一巻分よりも遥かに分厚い。
分厚い上に、小説のつもりで借りて来たけどノンフィクションだった事もあり、嬉しいような悲しいような気分で読み始めたもののとても面白かった。
本の大筋としては、「リーマン予想」をメインにした未解決の数論の問題を中心に据えた、「素数」を巡る数学者達の苦闘の歴史である。オックスフォード大学の数論研究者である著者が、一般向けに書いた、数学啓蒙書という位置づけであるようだけど、中々スリリングに最後まで読み進む事が出来た。
しかし、名前だけはメジャーな「リーマン予想」も実際これが何を意味しているのかはとてもわかりにくい、
と定義されるゼータ関数を複素数全体へと拡張した場合、-2、-4、-6…など、負の偶数の自明なものではないゼロ点s(自明で無いゼロ点s)は、全て実数部分が1/2の直線上に存在する。
というのが「リーマン予想」である。
恐らく高校でちゃんと真面目に数学をしなかった上に、もうすっかり忘れている私のような人はこういわれても「(゚Д゚)ハァ?( ゚д゚)ポカーン」なのだが、この本にはこの「リーマン予想」が定理として証明されると、どれだけのものが芋づる式にゾロゾロ出てくるかって所がわかりやすく書いてあった。
そして、リーマン予想だけでなく、全体を通して語られる「素数」の話で、数直線状の素数の出現が全く法則に則っておらず、これこれの数の中にこれこれの割合、と大雑把にしか言えないってな話が、量子力学の根底をなす不確定性原理と結び付けられ、さらに、数直線状の素数の偏差のスペクトルではなく、ゼータ関数の1/2線上のゼロ点のスペクトルが水素原子の振動数のスペクトルと殆ど同じになっているところは、素直にあひゃーっと驚いた。
リーマン予想自体をあまり良く理解出来て無くても、ランダムにしか見えなかった素数に秩序を与え、物質を形作る基本的な要素である水素原子を理解するのに着実な視点が得られるってところは、この「リーマン予想」を「リーマンの定理」にする事がどう凄いのかをよく教えてくれた。
「新しい世界への到達は、新しい知恵を獲得する事ではなく、新しい視点の獲得である事にこそ意義がある」って感じの事が書いてあったけど、まさにそんな感じであった。
数学の話だけでなく、ガウス、オイラー、リーマンなどの天才を筆頭に、一介の事務員だったラマヌジャンやら、サンスクリット語大好きなヴェイユやら、ついにおかしくなって悪魔に取り付かれたグロタンディークなど個性的な数学者達の話や、コンピューターでの暗号化の話が出てきたりで飽きる事無く読めた。
コンピュータを使っていれば、httpsやらssh接続で毎日常に鬼のようRSA暗号を使ってるわけやけど、このRSAについても因数分解と素数の話でとてもわかりやすく解説されていたので、これからはTLS接続も単なるブラックボックスではなくなってちょっとした親近感がわいたような気がする。
しかし、数学者っていう人種はやたらと数式やら数列やら関数に対して「美しい」とか「エレガント」とか使いたがる。まぁたしかにその美しさはわからんでもないにせよ、この美しさを表わす適当な言葉がないから便宜的に「美しい」や「エレガント」を使っていることを加味するにせよ、やっぱり我々一般人からすれば、はぁ?こいつら何言ってやがるんだ?ってなものである。
その点、やたらと小汚いプラモデルのモビルスーツを見て「美しい」とため息を漏らす人種や、殆どパンツが見えているようなフィギュアを見て萌え萌と興奮している人種、そしてSystem V initのブートプロセスはエレガントなどとうっとりするsolarisヲタも、オイラーの恒等式が美しすぎるとか素数定理なルジャンドルの式が醜すぎるとか言ってる数学者も大して変わらん同類やなぁと思った。